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またあなたに逢えるのを楽しみに待ってさよなら 

こんにちは!
いま、この文章に目を通してくれている人、ありがとうございます。
そして、いつも来てくれていた方、本当にありがとうございます。

今日は2016年の4月30日です!
私ごとですが、八年前の5月1日にこのブログを始めたので、今日でまるまる八年になります。

当時は迷いながらも疑念を抱きながらも実家へ仕送りを続けていた頃で、
今思い返せばなんてことやっていたんだろうなっていう虚しさもありつつ、
あの頃の自分がどれだけひたむきにやってたのだろうという思いもあります。
いいか悪いかはおいといて、今の私には人のためにあれくらい気持ちをそそぐ事ができません。
それくらい、八年という歳月で積み重ねてきたものはだんだんと形を変え方向を変え、
いろんなものを変えていった気がします。

それから本当にいろんなことがあって、今に至ります。

結論としては、結局ひとりということが八年経てたどり着くべき場所だったんだなと思います。

最近は、まあまあ元気にやってます。
というのも、もうめっきりもともとの元気という状態はなくなって、
本当に静かに平常心を保とうとして目の前のことだけを見てやり過ごしているだけな気がしますが。
何も考えない事が今の私にとっての一番の平穏だと今は気持ちのどこかですがってます。
たまにふと自分や今までや状況やこれからの事を省みて気が狂いそうになったり、
息苦しくなったり涙がこぼれてしまうような時もあるけれど、
もう仕方がないなあというある意味持病との付き合いのようにしてやり過ごしています。
考えると気持ちが押しつぶされそうな混乱があるあら何も考えたくありません。
昔は、泣きそうなやるせなさや悲しいことをブログに書き綴って気持ちを整理させてきたけれど、
ブログを書くって事は自分の心境を分析したり起こった事を振り返ってみたりすることで、
いまはとてもそんな気力がないというか。
何もせずやり過ごすということが一番の気持ちの整理になっているんですよね。
それに、なんでかもうなんだか心のどこかですべてどうでもいい気がして、というか、
すごく身も蓋もなく言うと“抗うのに疲れた”というのが一番しっくりきます。

たった一年前を振り返っても、まるで自分が別人か作り話でも書いたように遠く思えるというか、
本当に今の私には何かを求めて動くとか、誰かと繋がりを持とうとすることが、
出来るようでいつの間にか一番できないことになってたんだって気づくんです。
何だか、人の輪、もっと言えば世間からちょっと外れてしまった感じ。
なんか当たり前の事がすごく遠い。
人と話すのってどんな感じだったっけ?と思い出せないような感覚があります。

本当にひとり。

すがるものとか帰る場所とか、“ない”というより“思い出せない”に近い感覚。
もちろん、そんなのなくて当たり前なのだろうけど、
極端に言えば、今まで自分がどうやって何のエネルギーで生きてきたかを忘れてしまった。
毎日の生活をやり過ごす程度には日常生活を送れているけれど、
何だかどこに向かっているのか自分が何をしているのか分からないんです。
望みがない。もう私は何も望んでいないのかもしれません。

ブログなんて所詮自己顕示ありきで誰にも言えないような気持ちを、
この世のどこか顔も知らない誰かが知っていてくれたら救われるなんて気持ちで書いていたけれど、
何だかもう今は誰かに何かを伝えたいなんて気持ちさえも風前の灯のような気がしてます。

まあ、それが普通なのかもしれません。
八年前と言えば、まだ22歳だったけれど、今はもう30なのだし。

でも、長い間、
ここに他のブログじゃそうそうないような長文を書き続けられる熱意があったのは事実で、
実際ここに気持ちを吐き出すことで心の整理や均衡をとれていて、
こんなブログを読んで言葉を残してくれる人がいるのが嬉しかった。
支えられました。ありがとうございます。
お名前もだしはしないけれど、このブログにはすごく前、もはや開設当初くらいから、
たまに同じ名前でコメントをしてくれている方もちらほらいて、
本当に本当にありがとうございました。すべての見てくれた人、ありがとうございます。
あんな嫌なことしか書けないような私でも、実は人がいなくなる事は凄く寂しくて、
だからこそそこに関係が生まれてしまうといなくなってしまった時に寂しさが募るから、
あえてちゃんとひとつひとつにお礼をしっかり言い続けることができなかったけれど、
すっごくすっごくすっごく嬉しかった。
本当にありがとう。
読んでくれてきた方、すべてに感謝です。
たとえマイナスな意見だって誰にも気持ちを打ち明けられない私にとっては嬉しかったし、
逆に優しいコメントされれば書いてきた自分のくだらないことに申し訳なさが募りました。
ごめんなさい。そして、ありがとう。

でも、いつまでもそうやって何かを頼りに生きていってはダメなんだなって思います。

だから、突然だけど、これでこのブログを終わりにしようと思います。

自分の抱えた惨めさや不幸が流れ星みたいに燃えて流れ去っていけばいいのにな、
そんな気持ちで22歳の頃開いたブログは八年経った今でも書く事は惨めなことばかりだけど、
いつまでもそこにとどまってたらいけないなって思います。
ここには多分、自分の脳にしまいこんでいる記憶以上に詳細ないろんな思いが残るから、
いつまでもここにいたらそれを引きずってしまうし、
何だか自分の中でもいろいろ変わってきて人生の方向性も変えていきたいんです。

これからはひっそりとひとりで静かに生きていくことに重きをかけて、
誰とも知り合わず静かに過ごしていきたい。
自分ひとりで出来る事だけを小さくやり過ごしながら。

そして、少しずつ少しずつこの世から消えていけたらいいなって前向きに思います。

いつか、ふと「もういいかな」って思える日がくるまで静かに過ごしたいです。
自分ひとりで熱意をかけられることに過ごしずつ挑みながら、
いっぽいっぽ色んなことからゆっくり遠のいていくように毎日を過ごしたいです。

抗うことに疲れた。
というか、今までが抗いすぎた!wwwwwwww
でも、いろいろと抗えて良かったと思います。
だって、本来の自分じゃ決して触れることもできなかったものに触れられて、
気持ちを揺らすことができたのだから杭はありません。

いや、本当に長かったよね、このブログも、ひとつひとつの記事もw

いろいろ書いてしまったけれど、私は十分に元気で恵まれてます。
だから、これからはひとりでがんばろう!
その“ひとりでがんばろう”は今まで何かを追い求め続けてきたこのブログの趣旨から遠のくから、
このブログは今日でさよならです。

本当にどうもありがとう。
ここにはたくさんの思い出がいっぱい残ってるので、
ネットの片隅に残る私の人生の断片として残させてください。

ただ、舌の根も乾かぬ矢先ですが、
今までみたいなおびただしい心情吐露じゃなく、
静かな日常の一部として書きたい時にならっと書けたらなと思って、

まあ、移転です!



といっても、まだ即席で何もありませんが、
まあ、このブログはここで終わりなので、いったんさようならです。

本当にどうもありがとう。どこの誰か分からないけれど、本当に感謝してます。
たくさん、いいことが起こりますように。

移転→http://ameblo.jp/imawa2016

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[2016/04/30 19:58] 普通の事 | トラックバック(-) | CM(1)

あの日の涙はいったい何色になったんだ 

こんばんは。

最近、株の話ばかりであれなのを承知して、また株の話からさせてください。
まあ、今の私の生活はそれしかしてないのだからしゃーない。

とにかく今書きたいのは、本当に本当に本当に本当に本当に悔しくて仕方のない事。

まず、このチャートを見てください。

201604212142134bd.jpg

以前載せたチャート。

2016041909105177e.jpg

テラスカイ。
ダダ上がりしてんじゃねええかあああああああああああああああああああああああ!!!
まじで悔しすぎて舌を噛み切って地をふきだし血の涙を流しそうな思いでした。
本当に二日前の自分(前回の記事更新時)を今から殴り殺しに行きたい!!!!
このヘタクソがあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
悔しくて悔しくて悔しくてのたうちまわりそうなほど今考えても悔しくて自分を殺してしまいそう。

でも、負けは負け。
実際どんな取引だってたった一万でも利益を出せば勝ちは勝ちなんです。
でも、その後にどんどん上がってしまっていったのならそれは負けは負けなんだ。
いわゆる、“試合に勝って、勝負に負けた”というやつだと思う。
本当に正真正銘、私はこの勝負に負けた。
またしても、そう、またしても、目先の利益を追ってしまった。
ここ最近、ここで二回にわけてテラスカイの名前を上げて語った記事があるが、
そこで語った事は一度目、そして二度目の見ての通り。
その時に言った言葉はこれに尽きる。“この銘柄はまだ始まったばかり。”
ああ踏んでいたのに、気づいていたのに、察していたのに、
またしても、目先の利益を逃したくないがために、弱さに耐えずに目先を追った。そして負けた。

負けたんだ、私は。何に負けたかは相場に負けた訳でも相場で負けた訳でもなく、
まぎれもなく、自分に負けた。
これは、はっきり言える。他でもない、何でもない、自分自身に負けたんだ。
悔しいが、これが事実でこれが真実だ。私は負けた。はっきりと負けた。
しかし、ここで熱くなってはいずれ必ず死ぬ。

話は少し飛ぶけれど、あるプロ棋士の言葉にこういう言葉がある。

“勝負では二回目のミスが致命傷になる”

これがどういう事か分かる?
人間は必ずミスする。
そして、そのミスをした時に人はそのミスを取り返すために、
二度目のチャンスに一度目よりより大きなリスクを取ってしまう。
だから、二度目のミスは勝負において致命傷になる。
これを踏まえて言えば、先に言ったようにこの銘柄のポテンシャルに気づきながら、
ただ目先に乗った小さな利益を逃がしたくないために利確した事はまず第一の私のミスです。

ここは株ブログにするつもりはないけれど少し相場について言うなら、
今考えれば、平均単価13000円じゃどうあがこうが買値を下回る事はなかっただろう。
だから、考えられる損は利確前の利益を目減りさせてしまうことだけで、
買値を下回る損になる事はほぼほぼ考えられない、いわばどう転んでも勝ち戦だった訳で。
目先の小さな利益を取る弱さ、欲をはりまた下がった所で買い直せばいいという甘さ、
要は下手さ。それが、自分の犯したミス、隙、傲り。
そして、これも前に言った事だけど、いわゆる窓の存在で、
直近決算後の下の窓、そして上場来高値に空いた大窓、いずれも埋める事は予測していた。
そして、その予測が見事に当てはまり、今日その上場来高値の窓をきっちり埋めにいったんだ。
これが株の習性だ。
もちろん、相場には埋めない窓なんていくらでもそういくらでもあるけれど、
それでも遥かに多い理屈と習性はチャートに空いた窓は埋めにいくこと。
分からない人のために言うと、チャートの窓とは上のチャートで見た時に線が繋がっていない空白。
前にも言ったけれど、“株にはセオリーがあって、銘柄には癖がある”のセオリーにあたる部分。
それが、窓埋めというやつだ。
その前提で話を戻すと、当初の私の予測通り、上に空けた上場来高値の窓を埋めた。
そして、今日の時点でのチャートで見れば、きっかりぴっちりダブルトップ。
もっと言えば、トリプルトップ。
上場来高値につけた大窓前のピンと飛び出した上ヒゲ前にほぼ同じ高さに同じ上ヒゲあるでしょ。
そして、今日の同じ高さについた長い上ヒゲ。
もうここからは私にとっては確信出来る指標が何一つない。
既定の理屈で考えるならば、下の窓をさえも同じ理屈で通すなら意識するべき事で。

さっきも言ったように、勝負では二度目のミスが致命傷になる。
それは一度目のミスを取り返すために二度目は一度目より大きくリスクを取ってしまうから。
そして、私は今負けてる。
そこから上がっていった銘柄を見て私は悔しがってる。
だから、その悔しさを少しでも軽減させるためにポジションを取りたくなっている自分がいる。
でも、既に初めのまっさらな状態で察知した理屈は既に通り過ぎた事実で何も意味をなしていない。
だから、危ないんだ。
感情に流され「とにかく分からないけど買ってしまおう」。これこそが二度目のミス。
もし仮にこの高値で自分の理屈なく買って更にそこから上がったとしても、それも負けている。
何故なら、そんな戦法でたとえ勝ったとしても、それはいずれ必ず死ぬ事を意味する勝負だから。
相場で一番怖いことって、なにげに思うのは、“間違った方法で勝ってしまうこと”。
いつか必ず死ぬ方法で勝ってはいけない。
イチかバチかで戦ってはいけない。これは鉄則だ。
必ず勝てると確信を持ってするのが勝負であって、イチかバチかでするのは勝負じゃないって事。
そして、現時点で私には今後の動きに対して理屈を持って語れなければ勝算は神頼み。
この時点でこの銘柄は今は手を触れる事は出来ない。
だから、今私に出来る事は次のひらめきが生まれるタイミングを待つ事、
そして、次のひらめきを生む銘柄を探す事。

ああ、本当に悔しい。
でも、負けは負け。
負けた時に出来る最大の事は盛大に悔しがる事。
たびたびカイジの名言出しちゃうのも滑稽だけど、負けをぼかさない事がどれだけ勝負で大切か。

こでは株だけの事じゃなくて言えることがね、
人間としてすごい大切だと思える事のひとつに、悔しがれることだと思ってるんだ。
自分が弱いこと、自分が負けたこと、
それに対して死ぬほど悔しがれることがいずれ必ず勝つ時の糧になるって信じてる。
悔しがれない事は負け続ける事より深刻な病気だと思う。

世の中の沢山の人を見ると、世の中にはいっぱい悔しがれない人がいるんだって思う。
むろん、自分だって他者から見たらそう見えるんだろうって思う。
だけど、それでもどうでも誰よりも悔しがらなきゃならないって思ってる。
弱いのに、醜いのに、誰にも助けてもらえる存在じゃないのに、
負けを認めないこと、つまりは悔しがれないこと、これがどれだけ悲しいことか。

私がそう思うのは、まず親の存在だね。一番身近で見てきた敗者の在り方として。
この人達は、初めから終わりまでちっとも悔しがってなんかきてないんだって思う。
今の私がとても偉そうに言える分際でない事を承知して言うけれどね。
弱い人間は得てして悔しがっていない。

弱いんだから悔しがらなきゃ、弱いんだから苦しがらなきゃ。

ね。

今までの人生通して、色んな人を見てきて本当に思うのは、弱い人間ほど勝負に出ない。
弱い人間ほど自己否定しない。弱い人間ほど待つ。弱い人間ほど欲しがらない。
弱い人間ほど恵んでもらうのを期待してる。弱い人間ほど安全を選ぶ。弱い人間ほど攻めない。

弱い人間ほど欲しい欲しい欲しいとのたうちまわらなきゃ。
弱い人間ほど仕掛けていかなきゃ。
弱い人間ほど攻めていかなきゃ、一生今いるところから脱せない。
それって、とっても悔しい事だと思うでしょ。

私は、弱い人間として自分が悔しいよ。自分に対して本当に悔しいと思う。
本当に悔しかった。
醜かったことも、誰からも相手されなかった事も、金をよく分からないことに消されたことも、
みんなみんなみーんな今でも思い出せば血を吐きそうになるほど悔しかった。

だから、今があると思ってる。
果たして、その今が正しいかなんて分からないし、成功だなんてとても言えない。

でも、あの時に悔しがらず、適当に負けをぼかして生きていたら。

自分の生きてる言葉は自分の人生で得てきた経験でしか語れないけれど、
世の中って勝とうともしない人間が多いんだよ。だから、負けを自覚していない。
弱くて何も出来ない人間ほど仲良しごっこで人生が渡っていけると思ってるんだね。
勝負に出ないから、傷つかないけど勝ち方も知らない。
悔しがらないから、傷つかないけれど自分が負けた事も気づけない。

負ける事が悪い事なんかじゃなくて、勝とうともしないことが悪いんだ。
負けた事をぼかして、敗因を突き止めないのは一生勝てないと自己に宣告する事。

悔しがらなきゃ。

負けた事を、手に入らないものを、自分の弱さを、いっぱい悔しがらなきゃ。
悔しがって初めて、ならどうしたらいいのかが見えてくるんだと思う。

頑張ろう。

相場も人生も一緒。すべてすべて通じてる。
負ける事は勝とうともしない事。
強いというのは負けない事じゃなくて負けても負けても次の勝負にかけられる人。
負けの数だけ教訓を覚えればそれは武器になる。だから、負けはぼかさない事が鉄則。
負けを糧にする。
そして、必ず勝ってまた調子にのってみせる。更に大きい勝ちを得てね!
じゃなかったら、何のために何度も負けたのか分からない。
その上で、今回なぜ負けたのかを言えば、足りなかったのは覚悟だ。
笑われるかもしれないけれど、
今私に足りないのは本気で大金稼ぎ出してやるという覚悟が足りなさすぎる。
だからこそ、長い目で見れば目盛すらないような目先の誤差の金の動きにとらわれ、
小銭にしかならないような利益の確定に走り、大きな勝ち、つまりはチャンスを逃した。
それだけだ。自分を見限ってるのは自分。
心のどこかで自分なんかが大金持ちになる未来に懐疑しているから確信持てず、
しょぼい手でせこく勝とうとする。それでは現状は地続きで変わりっこないのに。
一番大事なのは、自分は必ず大金持ちになると確信する事だと思うことだ。
だからこそ、一番低いリスクで一番大きく勝てるとひらめきを覚えた勝負に果敢にかけてく。
イチかバチかじゃなく、今まで幾度となく経験してきた必ず勝てるという自分の確信。
その時が最大の勝負時だ。

頑張ろう。
一緒に頑張ろう。


[2016/04/22 00:56] | トラックバック(-) | CM(0)

白い谷間で微睡んでいれば胸の何処かがズキズキshakin'shakin' 

こんにちは☆

熊本地震、大きくてびっくりしたね。
日本にいる以上、生涯自分の住んでる場所で起こらないとは言い切れないし、
そもそも日本というのは地盤的に見てすごいリスキーな立地の上に成り立つ国なんだなあ。
ある日突然自分の家がペシャンコになることを考えたら、、、タンス貯金、やめとこ。
何はともあれ、私自身人様の住む場所での地震に対して何も言えないし出来ないししないから、
せめても我が身に起こった時のことを考えて出来る防災はしていかなきゃだね。
タンス貯金、ダメゼッタイ!

話が変わるけれど、前にちらりと書いたように日常生活の99%カード決済で生きる私にとって、
現金というのはほぼ触れることのない代物と化しているのだけれど、
更ににちらりと幾度か書いているように古く言えばぱとろん的な付き合いを持つ身として、
唯一そこでお札に触れる機会ともなるのだけれど、
普段触れて使ってないとお札のお金感は尋常じゃなく薄れていっている。
本当に紙。しいていえば、厚み。
だからたまにまじまじと見てみて紙幣の芸術品のような精巧さに感動したりする。
ごく稀に見る海外の紙幣は人生ゲームの紙幣のようにチャチな印象なのに。
人生ゲーム、懐かしい…。
小さい頃から機の合う友達なんて一人たりともいなかった私が、
子供時代に熱心にしていたゲームはママゴトでもかくれんぼでもぷよぷよでもお絵かきでもなく、
ボード盤人生ゲームでした。一人で部屋の中で何台も車転がして遊び呆けていた頃を考えれば、
もはや今の人生は必然とも言えるある意味収まるべきとこには収まった感すらある、、かも。
それにしても、お札綺麗って綺麗だよね。ただそれはあくまで鑑賞的な感動であって、
価値としては機械に入れて数字と化して、初めて現金として価値をなす、
私にとってはお金とは現金化することではなく数字化として価値をなしているものなんだよね。
だって、現ナマ持っていたところで株は買えない。
まあ、先に地震の事を述べた舌の根も乾かぬうちに電子に頼る数字としてのお金云々も滑稽だが、
人を見たら泥棒と思えをスローガンに掲げる私にとっては、
それこそ電子が通用しない緊急時ほど現金を持っていたら危ないと思うしな。
人間不信の闇は深いが、お金すらもたいして過信していない。
何も信じられないから、とりあえず動きやすいように手ぶらにしとく的な。

何が言いたいか分からなくなっちゃったけれど、ちょっと先に株の話させて!

前に言ってたテラスカイ。

以前載せたチャートこれ。

20160405071440242.jpg

この時の読みは、“指標が既に高く決算とんとんでも下がる可能性もあるが、
決算発表と同時に上場一年アニバーサリーで分割あるかもしれないし、
下がってもここのポテンシャルはなら下値は知れているだろう”、だったが、

決算後これ。

2016041909105177e.jpg

やっぱり上場一年の暁の分割発表あったー(*^^*)
手前味噌だが快進撃が止まらない!株式無双が過ぎる!
本当に株の転売ヤーやめてお味噌屋さん開こうかと思うくらい。
というように、、株というのは根本的には転売。
火のついたものを買う側になるか、次に火がつくものを買う側になるか。
そこには熾烈な競争と心理戦、自分との戦いがあるわけで、
悔しすぎる戦いや負けもあるから買った時だけ偉そうに色々は言えないけど、
ひっくるめて言えば本当に楽しいしチャンスと夢がかけめぐってるのが相場。
悔しい時や己に負けた時はガチで涙を流して胃と心を痛めているけれどね。

とはいえ、話を戻せば今のテラスカイの株価は高い。
分割発表以外、現状ろくにめぼしいIRもなく、
決算も悪くはないが指標と見比べれば明らかに割高な今の株価。
そもそも分割って上がるには上がるけれど、結局それって実務とは別問題な思惑な訳で、
会社の命運は相場にかかってる訳じゃなくて実務にかかってるのだから、
ぶっちゃけ分割なんて何それ美味しいの状態でしょ。
それに、まだ一ヶ月以上先の分割に発表直後飛びつくなんてはっきり言って下手くゲフンゲフン。
分割発表で二万まで値を伸ばしたここだが、ここからは指標見ても高すぎる。
私が決めてるのは、持ってない身としてその銘柄を見た時に買いたくならない株は持たない。
だから、分割発表は持ってる側からすれば売り。
仮にここから意に反し垂直線的に値を伸ばし高値をつけてぐぬぬな思いをしても仕方ない。
そもそも、今二百万あるなら他に買いたい株はいくらでもあるし。
といっても、現状(19日午前現在)二万節目に案外底堅い動き。手放したものとしては暴落希望…。
ここから見込まれる動きとしては、
決算節目につけた下の窓と上場来高値についた上の窓、いずれも埋める可能性が考えられるが、
それのどちらが先になりどちらが後になるか。
二万の値固めして上に飛ぶか、買いたい人みんな買ったで下に行くか。
どちらにしても下も上も現状五分五分だが、そう天井の高さも感じず。
かといって、下にも欲しい人はかまえていそうな動き。
といっても、今は活況かつ他の銘柄に美味しいIR目白押しだから、
持ってる人の単価上昇による資金の拘束感を思えば硬直長引けば手放したくもなる心理。
経験上、分割というのは発表直後と分割実施二週間前からが勝負時。
分割実施日はまだまだ先の6月1日となれば、今手放しても絶好の買い場はまだあるとも思う。
が、何より現状のテラスカイに会社そのものの魅力は薄れていってる気もしているが。

それにしても、そーせい熱いな!
一時は天井つけたとも思ったものの、出てくるIRのデカさが異常。
数日から二週間単位でのスイングトレードをメインとしている私でも長期保有目線で買い直し。
二万の攻防が底堅く成長率を思えば時相はまだ低い位置にあると踏んで出たが、
今日も材料出たし目白押しだな。唯一の懸念は公募増資くらいか?
そもそもIRだけ見れば、製薬銘柄は夢があるね。
いつの時代だって人間は健康第一で命あってこそは世界共通認識の中で、
ガンやアルツハイマー病の新薬ともなれば世界に羽ばたいていける可能性を秘めているからね。
今年はそーせいが相場を圧巻させるね。

その陰で、私が次に見込んでいる銘柄が、
デジタル・インフォメーション・テクノロジー。通称、DIT。
一年チャートは、これ。

20160419095604198.jpg

現状この動く相場にて動かない銘柄の不人気かつつまらないここだが、
チャート的にはなかなか面白いと思うのよね。
現状だけで語るなら、現時点で100株を1として10集めても300万いかないし、
ここから最悪半値と覚悟しても想定されるマイナスは150万にとどめられる事を考えたら、
天井の方がお高めでリスクとリターンは堅く見て30対70というところかと予測。

何はともあれ、今年は夢の大台に大手をかけたいところ。
だからこそ、堅実に地道にギャンブルしないで勝てる試合を積んでいきたいです。
【奇跡なんて望むな…!「勝つ」ってことは…そんな神頼みなんかじゃなく…
具体的な勝算の彼方にある…現実だ…!勝つべくして勝つ…!】の精神で!
あと何気に重く私にのしかかる一言は、
【目先を追うな!いい加減気づけ!耐える事なくして勝利はないんだ!】。
これ、本当に実感する。
株って何気に一番難しいのは利益の乗ってる銘柄を持ち続ける事。
含み損って案外人間耐えられるものなのに、利益が乗りそれが減ってくると、
人はその利益を逃したくないがために損を抱えた時より容易く手放してしまう。
今考えれば、私に一番近かった億までの道のりは、
株を始めた当初に触った上場直後のコロプラ。
あれは私にとってビギナーズラック株だった訳だけど、
もし持ち続けていたらと思うと今まで払った損失以上に高い勉強代なんだよね。
漫画とか滅多に読まないけれど、株をしてるとカイジの名言は本当に真理すぎる。
言葉に血が通ってる。

がんばりましょう。目指すゴールはまだまだ遠く彼方。
それでもいつでも千里の道は一歩から。

それよりさ、さっきパトロン的な事を書いたけれど、
前から書いているブワンクありきの七年来の客と定期的に会っているんだけど、
よくよく話をしてみるともう正確には十年近い歳月が流れてる事が判明した。
そりゃ年も取るよね。
彼は私より10上で当時彼の頭ににわかに生える白髪を若白髪だねなんて言ったが、
もう若白髪なんて言葉は遠く彼方に正真正銘の白髪と老化現象。
(ちなみにまだ自分の白髪は発見しついないからないはず。後頭部不明w)
話は気がつけば、健康の事になっているし、評判のいい病院とかになりだしたら末期。
なんかここ臭(加齢)くない?みたいな。やだー。
そして、私もまだ30とはいえ紆余曲折を経て行き遅れの範疇にガッチリきてる。
そもそも“まだ30”とか言い出してる事がババアの証拠で、
私の中の法則ではじじい特有のワードは「年齢より自分は若い」。
これを言い出したら完全にじじいど真ん中は間違いない。
若い男の子ほど自分を「おっさん」というもんね。
まともに生きてる人間には役に立たない豆知識として、
ネット上での出会いを漁る時に「年齢より若く見られます」はまず地雷のワード。
そもそもこのご時世とてネットでの出会いというのは一面の地雷畑なのだけれど。
まあ、そういう訳でお互い年取ったよねなんて振り返り話している中で、
「おばさんになって見捨てられるまで仲良くしてねwww」なんて言ったら、
「年齢とかじゃなくて心だから」なんて言ってくれてまあまあそこそこ励まされ…。
この人は客とはいえ、そこそこ話しているぶんにはざっくばらんに話せて楽。
金の話とか儲け話とか株の話とか金の動きの話とか、たまに健康とかまれに男とか、
そんな話を気軽に出来るのが超絶楽。
私が唯一無二と言っていいほど好きでもない男にされて一番癪に触る事は、
私の心の中の好きな男に並ぼうとされる事。本当に大嫌い。
どんな変態行為よりも想像を絶するくらい嫌い。
人の家に「あがっていいですよ」とも言われてないのに浸入しようとするかのような、
厚かましさで大嫌い。
だから、はっきり言って恋人になれる気にさえならない客なら、
どんなに変態だろうが不細工だろうがミライース乗ってようがどうでもいい。
しかし、厚かましくなった時点でその顔でその車でよくそう思えたものだなと感心する。
だってさあ、逆に言えば、そう思うって事は自分と同レベルだと思うからそう思う訳で、
よくもまあな話だよね、という話を30の行き遅れた女が言ってると思うとホラーだが、
何が言いたいかというとさ、性善説に頼って人の心に鈍感で脳内お花畑の人が嫌い。
正直羨ましいとも思うほど嫌い。何か弱いままみんないい人思想で生きられる事に嫉妬。
もっと言えば、同族嫌悪なんだと思う。
本当に私のスタート地点なんて糞すら美しく見えそうなほどに弱く醜く悲惨で、
欲しいものを手にするということは自己否定なくしては絶対に触れられなかったと思う。
だから、ろくな手柄なくして自分の頭を自分で撫でて性善説で生きる奴は嫌い。
はっきり言って、地球がひっくり返って世の中全員に救いが来たとしても、
自分の所だけには絶対来ない!くらいの気持ちで生きなきゃ無理だよ。
なんて余談が過ぎました。

とにもかくにも頑張って生きよう!
豆腐のような心を自分で抱いて守るより、鋼のような心で自分を守る!
先は長いから無理はしないけれど、人生はチャンスセンター。
今の地点から更に飛び立つには戦うことなくして先はないものね。

何だか日毎に思うのは、自分には結婚も、ましてや子供なんて多分無理だ。
そして、その未婚孤独の先に何があるかなんて正直全く分からない。
それを思うと悲惨な連想ばかりにならなくもないし、、、
新築戸建優しい旦那と可愛い子供、、、
これが大人のハッピーセットだと言わんばかりの幸せに目を背け、
額にMの焼印押してガリガリと人生削って生きる未来がどんなものかは、
遠くの大陸で緑の肉をこねくりまわすくらいに未知の世界。
親の結婚にまつわる不幸な30年は子供の立場から目にしていても、
独身未婚の孤独な末路はまだ目にできてないわけですからね。
思えば当たり前だけど自分の直系の先祖は誰しも子孫を残してきた訳で、
未だ嘗て独身未婚小梨の生涯なんて血筋直系史上初の前人未到への挑戦。
地道に地味にささやかに送れてるこの日常だって実はまだ若く健康だからで、
当たり前の日常なんて目に見えない当たり前の健康の上にあるだけと実感して、
もしその健康さえ壊れた時の事を思うと怖くて仕方がないが、
人間頑張れる時にしか頑張れないのだから、
せめて自分一人で何とか出来るものだけでも真摯に頑張っていくしかない結論。
とは言っても、結婚出来ないなら仕事に精を出しましょ言わんばかりに生きたても、
私にはキャリア詰めるような仕事もなければ自由を分かち合う友達もいない。
恋にお仕事にかっこいい独身ババアのサクセスライフのsatc的なものを送ろうにも、
友達もなければ仕事もない、そもそも住んでる場所はシティでもないし、
一人で部屋にこもり株の動きに一喜一憂とかさしずめホームアローンというか、
なんか加齢臭が目に滲むようなワードのオンパレードが胸に痛い。
今日日、satcとかセーラームーン以上に古いわ。
そもそも今更satcを語るなら、あれ結局みんな最終的にほぼ結婚してるし、
散々十年単位でイケてる独身煽っときながら、
独身ババア視聴者ガチ勢が手遅れになった頃合いに、
脚本スタッフ出演者自らが裏切ってく血も涙もないスタイル。
そもそも頑張るって何なのかとすら思う。
今までだって頑張ってきた事で後になれば頑張る必要すらなかった事は沢山で、
頑張る方向を間違えている可能性だってなくはないが、せめて今のベストを。
あと、お金だけじゃなくて体に気をつけ体を鍛えよう。

というのは、話が変わって、ドラストでバイトする私。
ドラストというのは、他人の生活がまざまざと露呈してしまう場所だと思う。
その距離感はコンビニよりより近く、スーパーよりより幅広く。
だってスーパーなんかじゃ買っても食料品がメインだし、
実家住まいの若い層や一人暮らしの男勢は少なかったりするだろうし逆もまた然り、
もともとスーパー自体が高級店から低所得者向けなど店入る前にある程度分散化されるが、
ドラストってどこも平均的かつ幅広い商品を扱うから、より多種多様な層と生活を見る。
それこそ、洗濯洗剤から介護オムツ、コンドームからちくわに至るまで置いてる訳で。
だからこそ思うのは、安酒買いの年増の想像を絶するぼろぼろな老い方と特有の甘い体臭。
カップ麺爆買いの独身中年リーマンの顔色の悪さ、ヤマザキパン半額爆買いのデブ率。
健康は食生活ってはっきりわかんだね…!
私はカップ麺も一切食べないし、山崎パンなんて花王と並んで不信会社だから買わないが、
本当に止めたほうがいいと側から見ていて思う。
やっぱり買っていくものの傾向と人種と身なりは本当に怖いくらい一致してる。
あと、酒に至っては、もうやめたんだ。
もともと酒自体は好きじゃなくて酔った感じが楽しかっただけだし、
飲まなくても十二分に楽しい事沢山あるし、そもそも飲んだ後の疲労感がやばくて、
飲んだ後は確実に老けて見えると確信するくらい肌も疲れてるからやめた。
前によく書いたバツイチ小梨の人もさあ、飲むために生きてるような人で、
ずっとその人の甘い独特の体臭が何だろうと不思議だったけれど、
今考えると完全に酒の匂いなんだろうなと思う。行く行くはアル中だなあ。

まあ、面白きこと無き世を面白く。
なんか新しい趣味を見つけたいなと思う近頃だよ。
とりあえず、いろいろやってみよう。
最近、恋愛セックス異性洋服に興味が一切なくなり、
興味ある事といえば株と健康と料理と美肌と体力作りというだけで、
それらの全て自己完結してしまうのが難。
今になってなんらかのサークル活動とかしたくなるよね。
だからって、都会じゃないからそう選択肢もないのが現実で。

がんばろー(^o^)

とにかく、相場に戻ります。旋風が吹きあれてる。
相場に後追いは厳禁。勝負は火がつく前にある。頑張ろう!
買っているのか?買わされているのか?株はこれが全て。

どの銘柄も頑張れ!


[2016/04/19 12:32] | トラックバック(-) | CM(0)

いつも窓の外の憧れを眺めて希望に似た花が女のように笑う様に手を伸ばした 

今日はお天気がいい('ω'*)

今年は桜満開の時期にお天気があまりパッとしなかった印象だけど、
こんなにも春が待ち遠しくてわくわくするのは初めて。前も言ったかな。
今まで私は冬が好きだと思い込んでたけど、今は冬が一番嫌いだし怖い。
南国移住したがる人の気持ちってあんまり分からなかったけど、今なら分かるなあ。
寒いと心まで凍えちゃうよね。昨日の夜、寒かったから久々に冬のキツさを思い出した。
だいたいいつも気持ちのどこかが荒んでるような私でさえ去年からの冬は心が死んだ。
とは言っても、私は頭が悪くて絶対鬱とかにならないタイプではあるけれど、
冬の理屈じゃないあの思考停止の落ち込みを思うと想像を絶する鬱って死に至る病だろうね。
とてもじゃないけど、鬱は甘えなんて思えないというか。
気持ちを元気に保ちたいですね。病は気から!

20160412135106bd1.jpg

桜も綺麗だけど、春の一番好きな花はやっぱりチューリップ♪
本当に可愛くて胸がときめく。
近所の家の前に数輪咲いてて、それが天気のいい昼間はパァ〜と太陽向いて開くの。
艶のある赤い花びらの奥は黄色でその色鮮やかさが本当に可憐で。
それなのに、太陽が沈むと花びらをキュッと閉じて何てお上品な気高い花なんだ!と思うわ。
よくチューリップって幼稚園の名札のモチーフだったり幼いイメージを持ちがちだけど、
花の中でもかなり清楚でハイソな花だよね。春の花壇の中でしか見られない感じが。
花が大好き(o^^o)

そういえば、前回書いたことの訂正だけど、
私がかっこいいとか言った鈴木亮平さんとか言う俳優は鶴瓶の息子とは全くの別人だってー!
鈴木亮平さんと鶴瓶に一切の血の繋がりなし!
むかーし、鶴瓶の息子を見た時の顔の雰囲気を無条件に最近よく見る鈴木亮平さんに重ねてて、
かっこよくなったなあとか思っていたが、全くの別人で別物だったとは思い込みって怖い!
というか、私って人の顔を見分けるのが苦手というか、
極端に言うと十数パターンくらいにしか判別できていない気がする。
だって、このブログでも複数人に対して“好きな人に似てる”という記述をした事があると思うが、
それって本当にわりと本気で言ってるの。似てると思う。
でも、他人が見たら似てるかに自信を持てない気もする。でも、似てると思う、みないな。
だけど、それにも根拠があってきっと記憶の中の顔なんて、
ある程度分かりやすいものをアイコン化したものにすぎなくて、
パッと見た時に過去のアイコン化されたものが紐付けられているに過ぎないのかも。
実際に造形としてどれほど似てるかはまた別というか。でも、似てる、みたいなね。
これが外国人になってくるとほぼ絶望的。欧米やアジア関わらず絶望的に判別できない。
前回書いたスーパーマンの映画だってバッドマン側に数人おっさんが出てくるが、
最後の最後まで通常のおっさん時は誰がバッドマンか自信を持って見られなかったもん。
バッドマン時は変なマスクつけてて顔見られないし。
そもそも物語として見られたもんじゃなかったけれどね。
同じ理屈で漫画とかアニメの類も人物の顔の見分けが面倒だったりが好きじゃない理由のひとつ。
まあ、要はバカって事なのだろうけどね。
その点、小説は見分けがつかない事がないからいいのだけれど、
ころもよくよく考えれば洋書を訳したものはカタカナの名前が並んでて覚えにくいから読まない。

小説といえば、最近読んだのは湊かなえさんの「夜行観覧車」。
湊さんは最近映像化をばんばんされてる作品の原作を量産している作家さんで、
私も映像では「告白」や「Nのために」とか見た事はあるけれど原作は初めて手にした。
というのも、正直読まず嫌いというか、小説としてあまり惹かれる部類のイメージがなくて、
どちらかというと脚本向きというか小説にしたら大味な印象を持ってたのだけれど、
実際手に取り読んでみたら本当にそんな感じだった。
物語としては面白い筋書きと思うけれど、そこに生々しい人間像も痛々しい心理描写もなく、
適度にぼかし適度に美化してエンターテイメント化させた感じだ。
基本の物語としては隣の家で起こった親殺しが軸なんだけれど、
似たような話で桐野夏生の「リアルワールド」がすぐ思い浮かんだ。
細かなディテールに違いはあれど、
隣の家で起こる親殺しと絵に描いた教育ママに抑圧された少年が消える点とかね。
特に、一つの事件を軸にして各登場人物の独白形式で話が進む点も同じ。群像劇。
すっごく昔に読んだというか、恐らく十代半ばに読んだから物語はややうろ覚えだけど、
当時の私にはとてもセンセーショナルで後半は泣きながら読んだ記憶。
思い返せば、当時はその少年やその周りの少女の目線で読んでいたように思う。
きっとこの夜行観覧車も十代の頃に読んでいたらまた違った印象だったのかな。
今はどちらかというと登場人物の大人の目線に移入して読んでいたりする事に気づく。
だとしたら、リアルワールドだって今読めばまた違う印象なのかな。
とはいえ、桐野夏生は読んでて疲れすぎるほど汚く暗い話が多くてもう読めないが。
あと、やっぱり物語の中に殺人が起こるものは年々避けていくなあ。
それよりも、日常の中のきめ細かい人の心理や温かさや寂しさを書いたものの方が好きだ。
角田光代さんの「紙の月」は近年読んだ中で一番心に染み込んだ作品。
あと、やっぱり山本文緒さんも好きだな。
何だかどこにでもあって誰にでもある日常の小さなほころびがやがて広がって、
いつの間にか遠く離れたところにいってしまう寂しさが切なくて。
それでも、登場人物達が立ち直って生きていく様が人間らしくて励まされる。
登場人物を分かりやすく美化して物語をご都合主義に綺麗に仕上げる温かさではなくて、
それでも人は前を向いて生きていかなきゃいけないんだよという慰めや励ましが、
読んだ後の余韻を引く作品というか、作品を閉じた後も続いてく物語を思わせるほど、
人の体温や吐息さえ感じるようにきめ細かい。

話がかなりそれてしまったけれど、そんなことはいいんだ。
それよりも書きたかったのは現実の話で。

これからの人生をいろいろ頭の中で模索した。
自分は何を求めてどうなりたくてどんな人生を送っていきたいんだろうって。
そして、やっぱり思うのは、明るく楽しく笑って生きていきたいんだよね。
それは誰でも思う当たり前のところだろうけど、
その明るく楽しく笑って生きていきたいということは言い換えれば、自分の問題。
だから、ここじゃないどこかや自分じゃない誰かを探し求め託しても無意味で、
そうしている限りは何の答えもどこにもあるわけないんだって思う。
例えば、前に一度言ったけれど、今の場所を出て違う場所へ行って何かを探したって、
今の現状やこれまでの実情は決して場所のせいでもないしどこに行っても私は私。
勿論、破竹の行動力を持って全然違う場所へ行くのも新たなきっかけかもしれないが、
それは自分に投影する夢や可能性で動くならまだしも、
私が求めているのはそれらではなく、あくまで自分以外の何かてしかないんだよね。
その時点でその何かに私を見つけて救ってもらうほどのものが何もないと思う。
そして何より、これまでをもうそんなに否定したくないんだ。
今まで生きてきて起こった事、そして、今手元に残ったものを受け入れたいんだ。
これじゃない何かを求めるのではなく、今あるものを受け入れていくことで、
今の自分を充実して伸ばしていきたいと思う。

自分を変える、のではなく、自分を伸ばす、という事に発想を転換させることで、
自分のしてきた事や生きてきた事を肯定し受け入れていきたい。
肯定というのは、開き直るという意味ではなく、本当にただ受け入れること。
今までしてきたことの後悔や失敗や虚しさや自己嫌悪はきっと完全には消えない。
でも、それを否定し続けたらずっと心のどこかが苦しむ。
それを変えようと自己の根本の部分を手を加えようとしたって私は私で変われない。
だから、余計に苦しむ。
それよりも、今残った自己を弱さや失敗も認めて受け入れることで伸ばしたい。
今までしてきたことの中には多大な後悔や失敗もたくさんあったけれど、
同様に得てきたものや出来たことや正しかったこともあったはず。
それを見ずにして、どこかや何かやましてや誰かを求め出したらキリがない。
自分だから出来ること、ここだからしたいことに取り組むことで、
自分の中を充実させて生きていきたいんだって感じる。
もうどこでもない何でもない誰でもないものを求めたところでただの虚無だよ。
それに、今までいい加減探し続けて気が済んだじゃないとも思う。
バカらしい発言だと笑われるかもしれないけれど、
もう二度と心を奪われる誰かに出会えなくても、
そして、心を奪える何かになれなくても、
それでいいんだよと思える人生を、自分を、得ていきたい。

どう生きたいかって考えた時に、別に劇的な変化なんて必要ないことに気づく。
だって、ただ楽しく生きていきたいんだもん。
それって見方次第で今すぐにでも始められること。
それを伸ばすことが一番自分が探し求めていたものなのかも。
まずそのままの自分を受け入れ大事にすることで今あるものを愛せるのかも。
ここに書いたように今までいろんな人と出会ってはいろんなふうに接してきたけれど、
何かどれも正しくなかったよ。
間違ったというわけじゃなくて、正しくなかった。正確には楽しくなかった、のかも。
精一杯いい自分を見せて無理して、そして愛せるように努力して。
なんだか本当にバカみたいだった。
孤独感ってどこから湧くのか考えたら自分を否定し無視する寂しさなのかもな。
上手く言えないけれど、楽しいアイコン、セックス出来るアイコン、女であるアイコン、
それらと人間である私は全然違うんだ。
人間だから間違うし人間だから弱いけれど、それらを無視して否定して、
上部だけでキャッキャ楽しいねなんていう事を恋愛やセックスとしているならば、
こんなにつまらないことはないよ。
私はさ、恋なんか本当に滅多にしたことないからこそ思うけれど、
本当に恋した時って決して出会った日でも食事した日でもセックスした日でもないよね。
寂しい時ほど一緒にいたい、苦しい時ほど一緒に頑張りたい、
そう思えない人と一緒にいてもただ寂しいだけ。
ましてや自分の気持ちの保安のために相手を試して傷つけるなんてくだらないよね。
それは自分自身にも言えることというか、相手が私を見ていなかったのは、
私も相手を見ていなかったのかもしれない。
中身空っぽで心をときめかせてくれるアイコンを探していたのは自分自身だもん。
そりゃもう大人だから条件で相手見たり自己防衛したり駆け引きしてみたり、
当たり前で仕方がないし責められた話ではないけれど、大人だからこそ飽きるでしょう。
いい年すれば、どんなに傷つこうがどんなに立ち直れなかろうが、
それでも生きていかなきゃならない強さや面白さを得ていくのが普通だし、
だとすれば上辺綺麗に取り繕った恋愛ごっこなんて無味乾燥のものたし、
それ以上に踏み込める人間らしさがなければ心を奪われなくて当然でしょ。

何が言いたいか分からなくなっちゃったけど、
そういう安っぽい何かを求めるあまり安っぽい何かになっている自分に飽きた。
本来ならもっと早く気付くはずというか、私の場合そんなことばかりだけれど、
実体験を得なければ自分には気付けなかったと思うから、これで良かったと思う。
そして、全てのことをそうやって前向きに受け入れたい。
どんなに後悔したって過去は変えられないけれど、その過去の見方は変えられる。
過去から得たものや学んだことを精一杯これからに生かしよりよくすることで、
それらの過去の在り方を変えられるんだという気持ちで進みたい。

この前、理由があって母親に会ったんだ。
年のせいか体の節々にガタがきているみたいだったが、
あまり見た感じは変わらず前に会った時よりは元気そうだった。
とは言っても、時間にして10分くらいしか顔を合わせてないから言える事だが、
どんな親でも死ぬまで自分の親なのだから元気でいて欲しいと思う。
母は前に会った時(去年)は時給制のパートと言っていたが、
あれから正社員として転職した後に勤勉さや経験が買われ施設長になったようだ。
といっても、施設といえば立派に思うが母体や業種がかれだから知れたもの。
とは言っても、ちゃんとした働き口がありお金を得られているのは、
生活の基本だし以前に比べての好転であることは間違いないし、
何より私がぼろげに想像している以上には堅実な生活しているのかもしれない。
ただ、今までのことを省みるに経済状況は健全とは言い難いのかもしれないけれど、
一歩立ち止まり考えればいい年した大人の全く別の家計を、
たとえ家族であっても側から口出しやましてや自己破産だ何だ思ってる自分も、
おかしいことは母を前にして思う。勿論、全ては自分の心の中だけに留めているが。
それが紛れもなく心配からきている感情であっても差し出がましく、
生き方は人それぞれだとも思う。
だって、私が自立して一人でやってるにも関わらず言われたら心外だもの。
勿論、母には私が身を割いて投じてきたものがあるのだからこそだが、
人の生き方にいろいろ言うのは結局人に期待しているのと何ら変わらないんだなと。
過去の確執を重んじて今を見るやり方ではなく、
新たな在り方を受け入れていくことも大切なんじゃないかとも思う。

だからといって、また近付けば恨んだり憎んだり悲しんだりもするだろうし、
すぐに正常化なんてされるわけでもなければ問題も山積だが、
過去があって今があるのではなく、
事態が変わったんだと思えば別の対処、別の形式も生み出せるのかもしれない。
何はともあれ、良くも悪くも生まれて死ぬまで自分の親は自分の親だ。
その変化や代替がない自分のルーツにも通じるものを否定したって仕方がないし、
これから考えられるものの中で精一杯よりよくしていく事に気を向けて、
少しずつでも自分の人生に改良を求めていきたい。
それは元夫に対しても同じだ。
何だかんだといろんな事を経ていろんな人を通しても、
結局一番楽だし楽しいと思える人間同士の付き合いを継続できている。
もとい、もう元の関係に戻ることもないけれど、
ある意味では関係が進化したんだとも思えば今と過去は別物になる。

これからをよりよく生きるために今自分にできることは、
今ないものを求め続けることでもなく、
今あるものを否定することでもなく、
過去に固執することでも、未来を過信することでもなく、
今あるもの、今の自分に出来ることを精一杯伸ばすこと。
頑張るのではなく、精一杯伸ばす。
頑張ると無理するは似てる。
そうではなく、体を伸ばして柔軟性を高めるように精一杯生きること。
矯正のように縛り付けていきたい方にいこうとする生き方ではなく、
伸びていく方に生きていきたい。
今を進化したんだと思えるような生き方がしたい。

今あるものを大切にしよう。

過去は変えられないし、未来も分からないけれど、
今をよりよくすることはこの瞬間からでも出来ることだよね。
周りではなく、自分の変化を大切にしていきたい。

最後に余談だけれど、前回SK2の赤について書いたが、本当にSK2赤スゴイ!
使い続けて本気で肌が変わった。ハリと触り心地が劇的に違う!!
たった美容乳液一品でこの違いは凄すぎる。ライン使いでもないのに。
これを機にSK2ライン使いを決心したよ。本当に本当に力強くオススメ!
化粧ののりも劇的に良くなって全然崩れなくなった。肌質が全く変わる。
この変化ならあの価格はかなり安いといえる。おすすめ。

じゃあねー(*^^*)
[2016/04/13 22:59] 普通の事 | トラックバック(-) | CM(0)

昔話は苦手よ ただ強く抱いていて 

こんにちは。

最近、わりと聞く洗顔ブラシ。
その洗顔ブラシというのを買って使ってみてるんだけど、
これがなかなかいい感じでおすすめ。
正確には洗顔ブラシというか、筆かな。私が使っているのは。
洗顔ブラシは電動で動くものを言うみたいだけど、
私が使っているのはまんま筆で手で動かすものでドラストで二千円で買ったもの。
興味は全くなかったんだけれど、見本品に触れたらあまりに気持ち良くて即買って、
それに洗顔料をつけてくるくると顔に滑らせて洗うのだけれど、
やっぱり手や指で洗顔するよりも断然柔らかく優しく低刺激で心地よいし、
何より手や指よりもムラなく洗えるような気がする。
触れた感じが本当に優しいから肌荒れしている部分にも安心して使えるし、おすすめ。

あと、最近になってSK2の赤いR.N.Aなんちゃらというシリーズの美容乳液を使い始めたが、
こちらもなかなか「さすが!」と言いたくなる使用感。
紅茶みたいな香りのするこっくりとしたクリームは肌に塗るとスッと浸透して残らず、
もっちりした触感になるのがすぐ分かるほど。
伸びがいいから少量でも十分顔全体に伸ばせるし安くはないとはいえコスパは相当良さそう。
まだこのラインの美容液は使ってないが、美容乳液がこれなら美容液買ってもいいな。
もともと基礎化粧品はクリニークのものを使っていてそっちの乳液が切れたから乗り換えたが、
今のところ次にリピートするのはSK2でいくつもりでいるくらい好感触でおすすめ。
化粧水はまだクリニークのイーブンなんちゃら。
これはもう何本もリピートしているが、費用対効果を考えたらベストなんだよね。
化粧水自体の効果としてはシンプルに潤いのみの特化かとは思うが、
化粧水って潤いを与えることが一番の役割だと思うし、
その点ではデパコスのわりには安価で気にせずバンバン使えるのは大事だよね。
とはいえ、正直この流れでSK2のピテラも気になってはいるが、
正直化粧水という最も減るスピードが速い基礎化粧品にしては高くて迷う。
効果が値段なりにあるなら買ってもいいけれど、そんなの使い続けてみて解る事だし。
だから、化粧品の口コミって重要だよね。
私はこういうふうに人のブログに書いてある事って結構参考にしてるから今回書いてみた。
@コスメも見るには見るけど、あれ役に立つといえば立つものの、
サイトから現物支給された人の口コミがずらーと並んでたりするのちょっと嫌なんだ。
現物支給と言っても感想はガチとは思いつつ、なーんか甘くなってて宣伝感があるしねえ。

昔は洋服が好きというか、洋服自体が好きで着る機会がないようなものまで収集感覚で、
何万もするものを買ったりしてきたけど、これからは自分自体にお金をかけようと思って。
洋服は何だかんだ思い返してみると五千円〜二万円くらいのものが一番使える。
結局服なんて消耗品だし、躊躇なくガンガン着れてスパッと使い捨てられるのが一番。
一万円代くらいなら質も全然悪くないしね。
二万以上する服って多少なりとも気を使ってしまうし、何よりどんなに質がいい服だろうが、
やっぱりどうあがいても年取ると似合わなくなるから長く着れる服とかあまり意味ない。
気付くの遅いけれど、買い集めてきた沢山の私にとってわりと高価な服を見て思う。
といっても、最近買い物行って気に入ったものを久しぶりに沢山買えてハッピー。
前に何度か服を載せた事あるが、広がったスカートとか可愛いのが好きだったけれど、
これからはパンツスタイルであまり華美なものじゃないものにシフトしていこうと思うと、
途端にタンスの肥やしが疎ましい。趣味というのは変わっていくんだねー。
私、物をほとんど持たない、もっというと、捨てるというよりそもそも買わないから、
部屋の荷物の少なさが半端ないんだよね。その気になったら一時間で引越し作業完了しそう。
だから、たまにテレビで人の部屋を見ると物の多さにびっくりしたりする。
元夫は物をやたら買う人で部屋の中に置く物が多かったな、今考えると。
かといって、部屋に物がないから清潔とか潔癖とかでは全然なくて、
ただただ物に興味がなくてただただ面倒臭がりの大雑把なだけなんだけどね。
物が多いって単純に面倒臭い。掃除も面倒だし取り出すのも面倒、物の為にお金使うのも面倒。

これって部屋に限らず外出時の手荷物もそうで出来る事なら手ぶらが理想というほど、
基本的に小さいバッグに財布と携帯とハンカチしか入れてない。
化粧直しもしたくなるが重いから泊りがけの時以外は持たない。せいぜいグロスくらい。
そもそも旅行も正直言うと普段の荷物にプラスして化粧ポーチと替えのパンツしか持たない。
昔、元夫と旅行行く時に元夫は海外でもいくのかと思うほど大きなコロコロバッグで荷造りし、
私は小さなバッグひとつで価値観って全然違うんだなあと思った。
一泊二日くらいなら真夏でもない限り両日同じ服着ればオッケーくらいに思うし、
どうでも何か必要になれば現地で買えばいいし絶対必要なパンツだけあれば荷造り完了と思う。
最近は、というか、ここ何年かは金さえ持つのが面倒だから買い物は99.9%クレカ。
どこに行くにも何を買うにもほぼほぼクレカ。これすっごい楽すぎて言葉にならない。
だから、それが普通になっちゃうとレジバイトしてて見る他人の会計時の当たり前に驚愕する。
あの小銭ジャラジャラの時間ロスって凄い面倒臭そうだなーって。
硬貨重そうだしさ。クレカが一番。
個人の飲食店とかクレカ使えないこと多いけれど、
飲食店でお金払う事ってありがたいことに滅多にないからな。
自炊が好きだから一人じゃ滅多に行かないし。
現金なんて万が一財布落としたり引ったくりにあった時に即終わりだしね。
せいせい持ってても一万以下ってところ。
いっそ世の中、クレカをデフォにすればめっちゃシンプルで楽でいいと思うんだよね。
その方が世の中の金の動きも単純明快で事務的にも楽でしょう。
クレカはバンバン使うべき。めちゃくちゃ楽でスマートで使わない理由がないよ。
使い始めると意識しないけど、特に大きな利点は金を下ろさなくてよくなる事だと思うし、
本当にあらゆる局面で楽。たまーに何かの理由で現金払いするとその手間に閉口する。
現金ジャラジャラ時間かけた支払いとかお店屋さんごっこじゃないんだからさあ。

とにもかくにも、私は楽、シンプル、身軽、それが最重要。
何も持ちたくない。
大切なのは記憶と体験と自分の身になり肉になり心を震わせてくれるもの。
人の心の動きに心をときめかせて生きていけたら最高だね。

そういえば、最近、興味は全くもってなかったが、
映画のスーパーマンvsバッドマンをちょっと付き合いで見に行ってきた。
私がお金払ったわけじゃないからまだいいものの、タダでもしんどくなる糞映画だった。
本当に素人が作ったみたいな出来でびっくり。
まあ、見る前から隠しきれないタイトルからしてあからさまな駄作臭は置いといて、
軽く聞いた評判も相当悪かったからね。もはや見えてる地雷。
正直、男地映画に誘われてこのセレクトだったら価値観違うんだろうなと諦めるレベル。
それくらい本当に見る価値がまるで見出せない映画。
ああいう系統の映画の唯一の救いでもありそうなCGだって途中すごい雑だったし。
そもそも原点に帰れば、私はスーパーマンもバッドマンも見た事がない。完全な初見だ。
だからこそ、話の根本を理解できていないし、
何よりスーパーマンもバッドマンも一瞬たりともかっこいいと思えなくて。
むしろ、そこはかとなくだせえw
仮に恋人がスーパーマンであんな格好してたらドン引きするわ。
青い全身タイツに赤いマントって。
しかもいちいち何度も姫様抱っこで人助する場面があるが、
妙にスローがかった動きといい、途中大きなものを担ぐシーンとかギャグっぽい。
しかも、それに対抗するバッドマンも見た目自体もそこはかとなくダサいが、
途中筋トレし始めて鎖をつなげたタイヤを引きずり出した時は混乱したからね。
物語中ではいちおう無敵なスーパーマンと対抗するのに、
そんな古典的な鍛練でどうにかなる問題なのかよと。
しかも、散々vsを煽っといて和解のハードルの低さが少女マンガレベル。
更に言うと、女戦士が突如登場した時のもう何でもあり感。
さすがにあそこまでいくと開き直った感があって笑えてきたけれどね。
何故だか唐突に子供の頃見てたごっつええ感じを思い出した。
何かああいうのに似たのなかった?あの滑稽さがごっつええ感じを彷彿とさせる。
とにかく、スーパーマンもバッドマンもヒーロー像がすごいダサいのが悲しい。
絶対的な強さを全く感じないし、フォルムとしてのかっこよさも皆無。

私が好きな洋画は、トランスフォーマー、第9地区、マッドマックス。
特にあのトランスフォーマーのしびれるかっこよさ。
車がガシャンガシャンガシャーン!と変形していく時のテンションぶち上げ感は最高。
あれ、シリーズを重ねるごとに変形シーンがはしょられ簡易化されて残念だけれど、
それを差し引いてもありあまるかっこよさがあったんだよね。
圧倒的な無敵さ。プラスして物語の主軸は少年が強さを得ていく過程にあるものだから、
本当に素晴らしい胸がときめくハートウォーミングなストーリーなんだよね。
第9地区もマッドマックスもそう。
ああいう話が大好きだし、登場人物がいちいち人間らしくてかっこいい。
人間らしいの捉え方って人によりけりだと思うけれど、
私が思う人間らしさって何かを得るために自分の身を傷だらけにしても進もうとする強さ、
それらを登場人物の全員に感じてられるんだよね。
特に、共通するのは悪役さえも魅力的に描いてる事。だから、作り手の愛を作品に感じられる。
だから、話を戻して言うと、スーパーマンvsバッドマンに作り手の愛を感じられなかった。
何だか適当すぎるんだもん。

話が変わるけれど、さっきちらっと話したように自炊が大好き。
といっても、別に得意じゃないからあまりはっきりと言えないんだけどね。
料理するのが好きとかいうと得意みたいだし凝ったもの作るみたいだし。
そう言うんじゃなくて、単純に食材切ったり炒めたりしてると頭がすっきりするし、
料理は短いスパンで完成して即席的に達成感を感じられるから好きなだけなんだよね。
で、食べ物なんでも好きだけど特に最近好きなのは野菜。
昔はサラダ食べるにもドレッシングとかかけてたけど、
最近は素材のみをそのまま食べるが野菜に限っては特に好き。
あと、野菜は栄養素を調べていくと奥深い。
そういう観点で見ると、コスパの高い野菜は水菜だと思ってる。
水菜はああ見えても緑黄色野菜で栄養がとっても豊富でビタミンCもたっぷり。
なのに他の野菜に比べ、ダントツ安く量も多いからすごくおすすめ。
味も好きだから、私は水菜を二束くらい切って何もかけず食す。苦味が美味しい。
あと、栄養で言ったらカボチャも凄い。カボチャはビタミンCたっぷり。
シリコンスチーマーに一口大にしたものを入れレンチンすれば、
栄養素も逃げずほくほくの素材の味そのままのカボチャを簡単に食べられるよ。
あと、シリコンスチーマーと言えば、私にとっての究極のズボラ飯で気に入ってる、
シリコンスチーマーで作る出し巻き卵は超簡単で超美味しくて超おすすめ。
シリコンスチーマーに卵二個に砂糖と麺つゆと水を入れてかき混ぜて、レンジで5分。
そうすと超ふんわりやわらかいつるつる食感の美味しい卵焼きが食べられるの。
味としては一応材料的にも出し巻き卵だけど、見た目や食感はまるで茶碗蒸し。
相当なズボラ飯だけど、本当に本当に美味しいからおすすめ。
卵が膨らむから量を見た目にも感じられるし、油使わないから健康的だし、
手間的にも鍋も皿も汚さずシリコンスチーマー一つで作り食べられるから楽。
卵だったら、きちんと栄養素もあるし間食でお菓子食べるより健康的だよね。

また話が全然変わるけれど、最近すっごく鶴瓶の息子の俳優の人が好き。
きっかけは、最近見た「予告犯」っていう邦画なんだけど、
この映画がかなかいい映画でじんわりと心に温かさが広がる映画だったなあ。
悲しい話でもあるし現代の闇の部分も感じる社会の問題提起要素もあるが、
根底にあるそこで生きる人たちの温かさや葛藤が丁寧に描かれてて。
とは言っても、綺麗事だとは思うけどね。
日雇労働者みたいな人達ってやっぱり人間性もそれなりだよ。
あんなに綺麗な温かさや葛藤があれば底辺なんてやってない。
まあ、そういう事は置いといて丁寧でよく出来た地味だけど温かい、
邦画独特の良さを感じられるいい映画だった。
しかし、話の本筋とは別に衝撃的だったのは戸田恵梨香のガリガリっぷり。
足が映ったシーンがあったのだがリアルご近所物語だったわ、、。
私、本当に男にしても女にしてもガリガリに痩せてるとか本当に好きじゃない。
特に男はデブくらいで十分。本当にひょろい貧相な男のみっともなさったらない。
それを踏まえた上で鶴瓶の息子の鈴木なんとかさんの男らしい顔と体、最高にイイ!
存在がセックスシンボルどストライク。
で、ウィキで調べたら2011年に一般人と結婚済みで軽くショック。
2011年って言ったら随分前で今みたいにブレークする前だよね。
そんな前の若い時に出来婚でもなく一般人と結婚するなんて、
性格も誠実で男らしくて熱くてかっこいいひとなんだろうな。
福山雅治とか結婚したニュースの時もショックとかいう論調が世には聞かれたけれど、
あの理論って確実に自分より幸せな女が一人いる事へのショックな気がするんだよね。
まあ、そんなことはどうでもいいけれど、本当にかっこいいよね、鈴木亮平さん。
今書いてて名前が思い出せた!
あと、押されてるからかベタだけど、AUの鬼ちゃん役の子もかっこいいよね。
最近フェミ風が売りの俳優が多い中、ごつごつした感じがと目の鋭さがいいね。
演技力も惹きつけられるものがあるし、容姿も俳優としても山田孝之を追える素材。
というのも、私が日本で一番好きな俳優は山田孝之。顔も演技も最高クラスだよね。
本当にかっこいい。
あと、余談でちらっと言えば、最近の柳楽優弥がめちゃかっこいい。
一時期はどうなるかと思ったが、素晴らしすぎる急回復。奥さんが有能なんだろね。

全く違う系統で言えば、最近よく見るりゅうちぇるとかいう子、超好き!明るい!
本当に明るくて最高に面白いw明るいって一番いいことだよねw
全然関係ないけれど、好きな女性タレントはやっぱり一周回って佐々木希かな。
神クラスの可愛さだよね。どんな芸能人見ても彼女にはかなわない。
千年に一人の子も系統としては佐々木希系だけど、
佐々木希は引きで見ても映えるスタイルだからやっぱり次元が違う。
もう一世代上だったら、えびちゃんが好きだったなあ。今でも本当綺麗。
あと、井川遥もすごい好き。
何よりパパラッチされたパチンコ屋の隠し撮り見てその美しさに息飲んだ。
恐らく淀んだドブ川みたいなパチンコ屋の風景が映画のワンシーンになったみたい。
検索すれば出るはずだから是非見て欲しい画像だよね。
本当に美しく生まれてみたかったなあ。残念だわ。仕方ないけれど。
あと、最近桐谷美玲も好き。
最近やってたドラマを見て高感度めちゃくちゃ上がった。
性格も良さそうでいいね!
あと、ちょっと趣向を変えると今になってももクロの良さがわかってきた。
きっかけは深夜にやってるももクロの番組なんだけど、
彼女達は元気で明るく普通の女の子達でいいね。
なんかいやらしくないのが安心して見られる。健康的な若さというか。
AKBはさ、いやらしいんだよね。不健全な意味での若さという感じが。
孫がAKB入ってたら不安だけど、ももクロに入ってたら嬉しいって感じの、
安心して見れる感じがいいよね。脱がされたりしてないし。
特に好きなのは高城れにちゃん。屈託無い笑顔が元気でる。
ただ、肝心な楽曲がももクロは好みじゃないんだよねえ。

株はぶっちゃけ今めちゃくちゃ儲かってる。
現状、見ている銘柄が思いのままに動いてる。

前に押したPCIホールディングスの以前載せた時のチャートがこれ。

20160308031206604.jpg

で、今これ。

20160405064247537.jpg

見て!これ、私が言った後、大きく上がってるでしょ(;゜0゜)
チャートはガチ!
といっても、これにはからくりがあってな、実は分割があったんだ。
よく見ると、左の株価を表す指標が小安くなっているでしょ。
とはいっても、初めにチャート載せた時は分割がある事を知らず。
私、悪い癖なんだけど、チャートに惚れて売買するあまり、
決算日や分割とかをきちんと確認せずに買ったりしてしまう時があるんだよね。
まあ、それを差し引いてもこの結果だからチャートはある程度ガチで読めるもの。
で、だいたいセオリーとして株式分割前はあがり、分割後は下がるんだよ。
だからこそ、現時点ではだださがっているんだけど。
私としては、分割後っていいイメージないから分割前に売って正解だったとも言える。
分割で面白くなくなった株といえば、ガンホーやアスカネットや。
当たり前だけど、流れる株が多ければ多いほど希少性は無くなるわけで、
そうなると値動きは退屈になり株としては成熟期を迎えてしまう。
私は、あくまで希少性がある新興銘柄で儲けるのが好き。
特に新興で人気だったけれど、ちょっと忘れられたっぽいものを拾うのが好き。
株にはセオリーがあって、銘柄には癖がある。
それを推理していけばおおよその次の動きはそこそこ堅く予測できるんだよね。
もっとも、どこまでいっても株はリスク資産であることには変わりないが、
それだってリスクというのは常にコントロールできるものだから。
今自分が許容できるリスクはいくらまでかを守り続ける事でリスクは管理できる。

前に載せて天井と見たそーせいの以前のチャート。

201603080308059fd.jpg

いま。

20160405070204d59.jpg

株というのはどんな銘柄にも天井が存在する。
そして、今後の動きを占う上でもとても重要でわりと簡単に分析するコツは、
いまその銘柄を持っている人はだいたいいくらくらいで取得していて、
得をしているのか損をしているのか、またどんな目的や目論見で持っているのか。
天井をつけて株価を下げ始めると儲けてる人達は利確をしたがる。
それを買った人達により平均取得株価が高くなり損をしてる人が多くなる。
だから、損をしている人を増やしながらだんだんと値を下げていく。
特に後から掴んだ人達は目先の利益狙いで参入している分、簡単に手放しやすい。
だからこそ、株価がどんどん下がる仕組みになる。
で、簡単なのは株価が静かな時の人気銘柄。
静かな時に買っている人達の目的を考えれば、静かな時こそ堅く買える。

一例で今私が興味深く見ているのは、テラスカイ。
ちょうど一年前鳴り物入りで上場した、厚切りが役員だかでも話題になった銘柄。

一年チャート。

20160405071440242.jpg

直近、発射台の坂道を登るかのように着実な上げを描いているが、
その前のゆるやかなアーチを描くような12500円前後のタッチ分かる?
底という直感はないけれど、株価が上に行きたい意志を感じる動きにも思えた。
第一、ここから下げてもテラスカイのポテンシャルなら、
遅かれ早かれ大相場になるのは固いとは思えていたからじわり買い集め。
で、現状爆上げなくとも含み益が着実に伸びてはいる。
そして、今買ってる人の目的はなんだろうと踏んだ時、決算だよね。
決算は半丁博打な要素もなくはないからリスクもいるが、
四季報を見る限り追い風は吹いているみたいだし成長性もある。
指標は馬鹿げた数字だが、今後次第ではどんどん指標の数字が低くなる事も可。
こういう未来期待銘柄は初めに馬鹿げた指標の数字がいずれ低くなるのも特徴。
そして、この銘柄の一番の特徴はその希少性。
発行枚数も少ないながら、市場に流れてる株数が極めて少ない。
100株を最低単元で1として、2300枚しか市場に流れていない。
つまりは、どんなに多く見積もっても一般株主は2300人以下しかいない。
で、さっきも言ったように株というのは成長し分割し成熟していくから、
まだこの銘柄は始まったばかり。
今の株を親株としてどんどん分裂していく可能性もあり、
持っている人の平均単価や目的考えても長期で持つにはいい位置にあると感じる。
ここから下がる要素としては目先決算の下方修正やコンセンサス以下の場合。
もしかすると、決算と同時に分割発表期待もなくはないかもしれないから、
それが肩透かしにあった場合は失望売りにもなりかねないが、
下に落ちたら落ちたで欲しい人は多い銘柄だと思うし、そういう位置にもある。
下心で言うならば、上場一周年のアニバーサリーに分割あってもいいかな、ともw
まあ、いろいろ含めそういう意味で今後が楽しみな銘柄のひとつです。

あと、株というのはとことん尻軽に乗り換えていくのが上手くいくコツ。
手放す時、スパッと捨てるように手放す事がすごい大事。
青田買いの高値売り。
大袈裟に言うなら、人が手をつける前に手を出して自分のお古を売る感覚。
それくらい主体的に動いてこそ、相場の動きに飲まれない。

何はともあれ、今の私が唯一番狂わせで大金得られる手段は株一択だし、
株って年を取ろうが体が動かなくなろうがどんな場所だろうが、
お金を生み出せる手段になりえるから日々勉強としてでも手をつけるべきだと思う。
やって損してやらないならまだしも、やる前からやろうともしないのは損だと思う。
ぶっちゃけ私なんてタブレット一つでゴロゴロしながらでも利益出せてるし、
実質中卒にもできるんだから誰でも出来るんだと思うよ。
当然いい時ばかりじゃないけれど、そんなの人生だって一緒でしょ。
生きていくように株をすればいいんだよ。
ダメな時は休める勇気。それが明日の勝ちを作る。

今日も頑張っていこう(^ー゜)



[2016/04/05 08:02] | トラックバック(-) | CM(0)

"Livin' La Vida Loca" 

眠れないな。

かといって、ブログを書き始めるとますます眠れなくなるけれど、
ちょっとだけ。

私、嬉しかったんだなと思う。
すっごく今更だけど、前回も言ったようにバツイチ小梨の彼とのこと。
彼とのやりとりは結構前から書いているけれど、
彼は優しかったし穏やかだったし、
何よりも私との未来を予感させてくれることを口にしてくれた。
それがとても純粋に心が温かくなり嬉しかったんだと思う。
今更なことを延々と反芻するようにむしかえしてしまってごめんなさい。
でも、そうなんだろうなと思った。

ショックというのは、経験上たいがい二度くる。
一度めは直後のショック。大まかな部分で衝撃と混乱で事態を飲み込めていない。
その後、心を守るために色々理由付けして落ち着かせて興味を逸らした状態が続き、
しばらくしてだんだんと起こった事の全貌を理解して飲み込んだ時が二度め。

本当に嬉しかったんだ。
勿論、彼がどんな気持ちで言ってくれてたかなんて知れているけれど、
それでも気持ちがじんわり温かく心の中まで伝わってきたのを感じたんだ。
人といるんだと思える人の心の温かみをね。
私はそういうのをただ感じて生きていきたいんだ。

本当に嬉しかった。
今更だけど、それが言いたかった。
何だか、言ったら少し心が落ち着いた。
きっと私が彼のそれらの言葉に素直に手放しに喜ばないで、
気づかないふりして他の言葉と同じように流してしまったから、
彼はちょっと私の心に意地の悪い棘を刺してみたかったのかもね。

今までくだらないけれど、そんなふうに感じる経験よくあった。
夏の彼もさ、別れ話で散々と悲惨な目にあったけど、
彼の吐くおびただしい暴言って本当に私の心を傷つけてみたかったんだろうな。
暴言自体の意味を思っていうのではなく、
ただ自分の言った言葉で私が悲しむ顔を見てみたかっただけ。
振り飛ばした昔の客にも最後に私を避難して去ろうとする人もいたね。
「あなたに私を喜ばせることは無理だけど、悲しませたりすることはもっと無理だわ」
そういった時の客の顔ったらね。
男には支配欲があるからね。
魅力的で強い男はいくらでも温かい明るい言葉で女を支配できるけれど、
それが出来ないとどうしても縛ること傷つけることとなってしまうのは原理としては妥当。
そこに歯止めをかけるのが理性であるのだろうけれど、人間って自分が可愛いから。

結局振られたのは私だし、振ったのも私だ。
意味わからないけれど、すべて自分が転換のボタンを押して決めたこと。
自分が事態の全てを招いたことなの。
仕方がない。だって、自分の心の寂しさに目を瞑れなかったから。
ちょっと前にも「やっぱりゆうこにまた会いたい」と彼からメールが来た。
勿論、スルーをしたけれど、何だか分からなくなっちゃった。
もしあの時に素直に喜んで身を乗り出していたらそれが正しかったのかなって。
彼だって人間で馬鹿じゃないから、気のない女にそれらしいことを言ったり、
自分で建てたマイホームに呼んだり母親に会わせようとしたりしないと思う。
無論、人間で馬鹿じゃないからこそ、嘘もつくし都合よく解釈したりもするけれど。

そういうことをだんだんと頭の中で噛み砕いて心におさめられた感じがした。
だったら、今ならまだなんて思わなくもないけれど、
やっぱり思うのは私は彼を愛していないんだなということ。
それに、こんなグジュグジュな私の心を露呈させたら即刻私は彼にとって不用品になる。
それが分かるからあのまま終わりでいいのかも。
そう思いつつ、もう一人の私が「本当にそうか?」と言いたがるのも分かる。

最近、本当に去年のことが嘘か別人かみたいに、
本当に静かで寂しい何の思い出にも残らない毎日を過ごしている。本当に一人。
多分、このままいったら、私はああいう市場から確実にフェードアウトするだろう。
見た目だってもともとが良くない上に確実に老化して劣化していく。
その上、笑えない。今の私はもう自分の心の弱さを隠す強さを持ち合わせていない。
今だから言うけれど、いつでも笑顔で明るく振舞うというのは百難隠す威力なんだ。
これは本当に本当に本当。真実すぎる真実。
よく笑い、よく相手の話に耳を傾け、よく相手を励ます。
決してでしゃばらず、相手を尊重して応援する。
そうすればおのずと相手から自分に会いに来てくれる。
だから、一にも二にもよく笑うことがどれだけ本当にどれだけ重要か。
だからこそ、今、全然笑えない自分に心が荒む。無価値なんだと分かるから。

きっと、あれが最後だったなと思うこともあるんだろうなと最近薄々気づいてくる。
何でも初めてがあれば最後もある。
いつか時が経った時、あれが女性として扱われた最後だったなとか、
あれが誰かといて心が温かくなった最後だったなとか、思うんだろうな。
まだ、その“あれ”はどれになるかは分からなくて、
もしかしたらまだ始まっていない何かがあるのかも分からないけれど、
いつかどんなことにも最後があるんだな。
あの子のこれからの人生には無限に続くお花畑のような未来が広がっていても。

馬鹿だけどね、もし50年後でもいい。
その50年後に誰かと通じ合える運命なら私はこの一生を渡っていける。
実質不可能なそんな願いさえ、今の私にはかけがえのない希望と思える。
それくらい今の私には何もない。この先に何もないことを予感している。

お金なんて本当に何にもならないな。
人生がお金でどうにかなった試しなんてあったのだろうか。
お金を捨ててまで手に入れたかったものは全部消えちゃった。
家族もなにも。
言葉のあやじゃなく本当に有り金全てはたいてまでほしかったもの。
お金なんて大事なところではどうにもならない。
まあ、別にお金だってそんな持ってないけれどね。
それでも、お金だけは自分が求めた結果が一番素直に返ってくるだけ分かりやすい。
今となっては使う気力もないけれど。

だいたい、お金の問題はまた別の話だからいいんだ。
お金があっても人は幸せになれないよ。
結局その人の人間性次第。
お金なんて所詮は道具にしか過ぎないからね。
お金には心もないし知恵もない。
だから、お金が幸せの場所に案内してくれるなんてこともないの。
どんなにお金持ってたって人生ダメにしていく人らがわんさかいるんだからさ。

だけど、何もないなら今生み出せるものを頑張って生産しなきゃ。
何をしていいか分からないから、とりあえず今出来る事をしていくこと。

寝ても覚めてもさみしいなと思う。
好きの裏返しの冷たい言葉より、
真っ赤な嘘でいいから好きだと強く言って抱きしめてほしかった。
今まで自分がしてきたことって、人にしてほしかったことなんだと思う。
たとえそれが真実じゃなかったとしても、
誰かがあの時自分のために動いてくれたと思えたら心が救われることってある。
だから、誰かの前にいる時はその人のために生きようぐらいの気持ちでいたかった。
そんなのただの理想でとことん思い違いだらけだったけれどね。

まあ、何はともあれ本当にがんばろう。
泣いても笑っても人生なんて一回こっきりだからね。
前を見ていくしかないんだよね。
みんなみんなじじばばに流れ着いた時には全て笑える昔話になってるよ。
最近本当に思うのはそこらへんの老化真っ只中なじじばばや枯れきった老人達にも、
若々しい頃があって大人と対立したり色恋沙汰に荒れ狂った時代があったんだなと思うわ。
時が過ぎ去ればそんなことなんて全て本当に小さな擦り傷の一つや二つくらいのものだよ。



それじゃーねー(o^^o)
わくわくo(^_^o)どきどき(o^_^)oそんな未来を作っていこう(o^^o)


[2016/03/30 06:33] 怒りや悲しみ | トラックバック(-) | CM(0)

先読みのし過ぎなんて意味のないことは止めて今日はおいしい物を食べようよ 

しくしく(つω-`。)

しくしく(っω・`。)

しくしく(´;ω;`)

さーみーしーいーよー。

さみしいというより、むなしいよー。
くやしいよーくるしいよーあーんうわーん・゚・(つД`)・゚・

こんな気持ち、明日の昼間になればすっかりなくなってるかなー??

バイト休みの日は一人ぼっちで誰とも言葉を交わさず終わっていく。
今日は一人スーパーに出かけて一人で食材を選びながらふと心が震え上がった。
近頃は何だか一人でどこかに出かけたり飲みに行ったりすることもめっきりなくなって。
確かに元気も昔に比べたらないのは事実だが、それ以上に、
何だか別にもうそれらをしても大して満たされも楽しめもしないって分かるっていうか。
昔は帰る場所もあったと思っていたからどこかに一人で出て行くのが楽しかったけれど、
今は別にもうどこにいたって本当の本当に一人ぼっちだし、、、。

昔は元夫といつだって一緒に居られる暖かい部屋があったから。
あんなことがあったのだからそれ相応には満たされない部分もあったのだけれど、
私の唯一無二のこの世でたった一つの拠り所だったわけで。
でも、それ以上に心に浸透するような温かさにほだされてしまったから、
もうそこには戻れなくなってしまって、今みたいになっちゃった。

本当に何度も何度もこんな話をごめんなさい。
自分でも分かっているんです。すごく馬鹿なことだって。
だけど、ここは私の唯一の心の内を話せるカウンセリングの場にさせてください。
あと、もう今更これまであった事を話すわけじゃないんです。
私がとても不安なのは、【これからどうしよう】ということ。
本当にそれだけなんだ。

このところ、元夫のことをよく書いた。
正直、今が辛くて行き止まりなら戻ることもありなんじゃないかって思った。
そもそもあの時にあんな風に私がならなかったら今も元夫と一緒に居たのだろうから、
原点回帰であのことにまつわることをなかったものとしやり直すことも出来るのではないか。
きっと元夫なら私のその願いを受け入れてくれるという確信もありはするから。
とても現金な話です。だけど、私は実際に生きている人間だから、
現金だろうが非常識だろうがより楽しく楽に生きられる選択を取るのは生存本能なんだ。
それが頭によぎってしまう正直な気持ちもここには書きます。
一人で誰とも話さず何日も経過していくとそれだけで気が参りそうになるから。
だから、何度ももう戻ればいいんじゃないかって気持ちに押されそうになる。
でも。
でも。
常識的に見ても、そして当然私の心情的に見ても、無理だ。
別にもう今更元夫にどうこういう思いはないけれど、
彼とはもうあっさりとした友人関係は継続できてももう決定的な所で通いあえない。
多分、ずっとずっと前から彼とはあっさりした友人みたいな関係で暮らしていて、
それをどこかで分かっていながらそれでもその生活に満足して暮らしていたと思う。
だったら、今でもそうなれるんじゃないかと思うけど、
言葉で言い表せないけれど決定的にそれ以前とそれ以後では違う。
上手く言えないけれど、ね。
たまに会って笑顔で話したり出かけたりすることは出来てもね。

私が抱えてる不安って何なのだろうって歩きながら考えた。

将来の経済的な不安?社会的な不安?肉体的な老化の不安?
結婚が出来ない不安?

もし本当に私が抱えている不安がそれらだったらとっくにいくつもの解決策があった。
でも、違うんだよ。
精神的に一人で生き続けることを思うとわなわなと不安で心が震え上がる。
この世にこれだけの人がいるのに心の中に誰もいない不安。
私はこの世の誰一人をも心から愛していないし愛せていない。
無論、愛されてもいないのだろうけど、
そんな事よりもこの世の誰一人として愛している人がいない事が本当に寂しい。

何かさ、綺麗事かもしれないけれど、この世にたった一人でも、
打算でも努力でも理屈でもなくその人を好きだと思える人がいるなら救われると思う。
多分百人に愛されて誰一人愛せないより、誰にも愛されなくても一人を愛せるほうが幸せだ。

こういう事を思うと、私は本当に愛されてみたかったんだなあと思う。親から。母親から。
小さい頃から家には父親がいた記憶があまりないから父親は今でもどことなく他所の人だが、
なんていうか振り返ると家族って何だったんだろうと思う絵しか思い出せないな。
話が矛盾している気がするけれど、そうじゃないんだ。
私の話の根源って、自分が愛される存在ではないという大前提のもとにあるんだなと思う。
なんていうか、愛されなくて当たり前と言うか、愛を諦めている感じというか。
何かあった時に自分が真っ先に切り捨てられる存在だという事を承知している感じ。
いろんな人と接していて思うのは、世の大半の人、少なくとも私が出会ってきた中の大半は、
自分が当たり前に愛を与えられるべき存在であるという本人すら気づいていない確信を持ってて、
そこに迷いも疑いもない感じが本当に羨ましいなって。
人の心に無頓着。
私だって人間だから雑に扱われたら悲しいし、嫌な事言われたら悔しい。
でも、選択肢としてそっと離れるしかないというか。
心の中で憤慨しても、その憤慨って相手に伝える術がない。
怒ればいいんだと思う。目の前で悲しみを伝えればいいんだと思う。

でも、怒って泣いたところでどうなるの?

相手は私を愛していないというのに。





分からない。それがどうしても本当に分からない。
頭の中で何行も空行になってしまうくらい分からないの。

私、ここに嫌という程くだらない男がこうしてくれたああ言った話聞くでしょ。
あれは私の努力の勲章だし心の思い出なの。
何も本気で私自身が愛されてるからなんて思って言ったりしてる訳じゃない。
やってる自分が一番分かるよ。
でもさ、食べ物に植えた子供が生ゴミ漁るのと一緒で、
例えそれが虚像だとしてもほんの少しでいいからあやかりたいんだよ。
かりものでもそのときめきは心の栄養だったから。
でも、別にそんなの本物じゃないって分かるから。
前にも書いたけど、今でも良かったなあと思うよ。
思い出してときめき直せるような思い出たくさんある。例えそれが虚像でも。
悲しい思い出しかない過去よりマシでしょう。

それでも思うのは、みんな自分に確信があって立派だなと思うこと。
やるやらないとかときめくときめかないとか一切別にして、
仕事含め私に近づいてきた人達。なんかみんな羨ましいんだよね。
他人の心と自分の魅力のなさに無頓着で。
こうあってほしいとかこうしてほしいとかが見えてしまうと途端に辛くなる。
もしくは、こうあるべきを押し付けられる事もあった。
でも、仕方ないよ、条件付きの愛なのだから。
ならば、なぜ相手は自身をがんばらない?
なぜこんなことでわたしが満足したり騙されたと信じて疑わない?
なぜなら、そこには疑いがないからなんだよね。鏡に映る自分に興味がない。
鏡、というと容姿を揶揄しているみたいだけど、そんなチープな話じゃなくて、
相手の心に無頓着だから自分の振る舞いにも目を背けていられるんだよ。
ある程度、わたしに興味のない人の方がいつだって楽。
だけど、わたしの虚しさはきっとそれなんだろうな。
興味を持たれていないことを受け入れてしまえることというか。
何か自分でも何が言いたいかこんがらがってきちゃった。
最近ブログ書こうとしても上手く考えと言葉がまとまらなくて、
途中まで書いてはアップせずに消してばかり。
だけど、言いたいのは誰からも愛されてなんかいないってことなんだよな。

もし、本当に勘違いできたら楽だけど。
私、そこまで他人の心に鈍感にも無頓着にもなれないよ。

これからどうしよう。

さっきも言ったように、これが生活とか結婚の不安なら、
身のふりなんて迷いはないくらい明確に何をするべきか分かる。
不安で仕方ないのは、もう一生、
誰かといて心から楽しいと思えないのではないかという事。
心から笑えないのではないか。
心から愛せないのではないか。

それがとても不安で仕方ない。
極端に言えば、私は街行く全員と出会って話したいくらい渇望してるが、
悲しい事に人生は出会える人にしか出会えない。
きっと一生かけても出会えない人達の中には、
お互いに求め合うものが一緒の人達だっているのかもしれないが、
出会える人達にしか出会えない。
ともすれば、可能性の分子を増やすには分母を爆発的に増やさなければならない。
そうやって動いたのが去年だ。それからあった事はこのザマ。
人生って短いから、何通りもの手段は選べないし無駄な事に時間は省けない。
だったら、最大の可能性を取れる手段はこれからなんだろう。
たまに思うのは、生まれてからずっと同じ地域にいるわけだけど、
別にこの地域に友達がいるわけでも定職があるわけでもなくて、
今の私は驚くくらいなんの縛りもなく金の自由もとりあえずはあるのだから、
いっそ思いつきで飛び出してしまうのもありなんじゃないかと思う。
かといって、どこに飛び出しても生活自体は今と変わらない気もする。
もちろん、その地に行って出会う人達はいるかもしれないけれど、
でも今の私の現状は決して場所のせいじゃないのに、
それを無視して飛び出して新たに導き出せる結論があるのか。
環境を変えるのか行動を変えるのか。
環境が変われば行動が変わるのか。
でも、どこにいてもきっと私は私でしょう。
誰もが私から逃げられても、私は私からは逃げられないのだから悲しい。

30になってこんな事を考えるのはひどく馬鹿らしいと思う。
もう30という年は若さを言い訳に出来る年じゃない。
けれど、絶対値で見てこれからの人生で今が一番若いのだからとも思う。
だけどいつまでも時間があるわけじゃない。苦しいし悔しい。
いろんな意味でなんの縛りもなくなった今を、
ラッキーにするもアンラッキーにするも私自身だと思う。
定職も職歴も友達も彼氏もいなくて家族さえアレな30女なんて悲惨そのもの。
だけど、世の中金すらなくて泣きながらやりたくない事にしばられてる人もいる。
結局、人生人それぞれだけれど、人は一つの人生しか歩めないんだよな。
どんな人生であれ自分の人生を最大限歩んでいくしかない。
ならば、今の私にとってよりよい方法ってなんだろう。

泣きたくなるけど、泣いても始まらない。
最初は泣いていたけれど。

なんか、いつだって遠くで光る星みたいに小さくても希望があれば、
それが生きる光になるんだって思う。
だから、本当に些細でも誰かがそう明るい気持ちになればいいと思って、
目の前の人と接したいとは思ってる。
でも、その方向性ってみんな違うんだね。

ぶり返すようで悪いけれど、バツイチ小梨の彼との最後の事が、
今でもなぜかとても悔しい。
執念深くとりつかれるほど、あの時の心のがっくり感が頭をよぎる。
なんか、あんな事を“悪意なく”言えてしまう事が、
私はとても羨ましいんだと思う。
私の心の中に残る憤慨は言われたという事象に対してでも、
無論その言葉の意味真意でもなく、
そんな事を冗談の延長と照れ隠しなんかで言えてしまう、
その人の言うてきた背景に私は絶望するくらい嫉妬している。

つい最近、夜桜見に行ってきた年下の子と食事をしてきたんだ。
あの時書いたように思う事あってあれから一切の連絡を絶っていたが、
食事に誘われて私の心情もこんなんで暇も持て余していて行ってきたけど、
やっぱり彼は当たり前にいつまでたっても彼だね。
去年の秋の喧嘩別れ時から変わらないし変わりっこない。
いつだって何も自分から提案するサービスも提供するサービスもないくせに、
自分が常に審査員席にいるかのように私の言動や行動に嫌そうな顔でお小言。
勿論、食事の代金は知らないうちに払ってくれていたり車のドアを開けてくれたり、
形式的なホスピタリティーはあるけれど後はすべて私への冷たい批評を口に出し。
つまりは、私がここにいろんな人に対して書いてるような事を、
ほぼ実況のように相手の目の前で言ってる状態。
そんなに嫌なら私を誘わなければいいのでは?という大前提が出るが、
彼は私という存在にきっと苛ついているのだと思う。
自分で言ってて馬鹿らしいけれど、全て無機質に合理で生きる彼にとって、
私という有機質で不合理な生き物は解せなくて、
なおかつそれに興味を引いてる自分に苛立ちを覚えるのだと思う。
きっと私が生きてきた道なりに、そして見た目なりにしおらしくいたならば、
彼の満足は買えるのかもしれないが彼はきっと満足しただけでそれで達成なのだ。
そうしたところで何か温かいものを提供されることはない。
本当に彼って甘やかされて育ったんだなあって思う。彼自身がそう言っていたように。
温かいご飯が出てくることを一度だって疑問に思ったことはないのだろう。
彼は大学は数学科行ってたと言ったが、数学なんて私が一番嫌いな科目で、
あの数学の訳わからない理不尽さと彼に対する胸糞の悪さはよく似ていると思った。
彼は物に例えたら計算機。まるで温かみのなく薄っぺらくカチカチ硬い計算機。
なおかつ性格的に潔癖。よく育ちがいい人を温室育ちと揶揄するが、
彼は雑菌一つ許されない無菌室で育ったんだと思う。
まあ、彼の紹介はどうでもいいけれどさ、
どうして彼は私にも心があって感情も考える頭もあることを知らないのだろう。
人間の欲を悪く思うのだろう。
人間の多種多様な欲を悪にする文化はとても健全なようで、最大の不健全。
例えば、子供がオシャレや化粧や異性に目覚めた時、
それを親が「色気付いて」なんて言うのは絶対にしてはいけないことだと思う。
それは、成長であり、生きてる証に他ならないから。経験談。
彼は私に対して似たものをぶつけてくる。
そして、必死に嫌われる言い訳作りと嫌いになる理由作りに励む。
とても馬鹿みたい。
そうやって彼が大事に大事にしているのは自分のヤワなハートとガラスのプライド。
それを守り抜いた先に何があるのか私は彼に聞いてみたいよ。
欲しいものは心をボロボロにしてでも掴もうとすることは間違ってるの?

なんでこんな事延々書いてるのか自分でも分からないけれど、
母親がやたら大切に育ててきたっぽい理数系の男って、なんつーかやばい。
バツイチ小梨の彼にしろ、この子にせよ、彼らの方向性はまるで逆だが、
系統は全く一緒だ。潜在的に話のそこかしこに母親の存在感がやたら強いし、
身に纏う空気がそこらへんの子供と変わらないのも一緒。
多分、一生分かり合える人種じゃないんだろうな。

それって悲しい。

綺麗事なのかな?相手の心をよく見たいって。
心を見ようとしない人達を私は好きになれない。
私の心だから見てくれないだけならそれでもいいけど、
そうやって生きていくのって寂しいでしょ。
彼らは私を疑うように見ていろいろこねくりまわすように調べるけれど、
多分気づかないほどに幼稚に安易に信じているんだと思う。
言ってる意味が自分でも上手く整理できないけど、
何も信じてないから初めから何の疑いもないという暗黙の了解で通じ合う関係は、
そんなに難しい関係性なの?
そんなにイレギュラーでマイノリティーな思想なの?
盲目に馬鹿な信者のように思考ストップに信じるのでもなく、
馬鹿みたいに審査員気取りで疑っては試してつけはなしてするでもなく、
すべて自分の頭で感じたことのままに見て生きていこうよ。
でも、誰も私の心は知らないんだね。

私は一体何がしたいのだろう。何を求めているのだろう。

とにかく思うのは、さみしいな。
誰もいない寂しさもあるけれど、それ以上に何もない寂しさが大きい。
心の中に何もないんだ。

一人で生きていけるけど、一人で生き続けられる覚悟がない。




[2016/03/25 08:24] 普通の事 | トラックバック(-) | CM(0)

砂漠の荒野に倒れても長い鎖に繋がれても明日は明日の風の中を 

寝ずの朝待ちの夜中が暇すぎる。
もともと今夜は訳あって徹夜だから仕方ないんだけどね。
気持ちがないってこんなに殺伐としたことなんだなあと思う。
私、良くもを悪くも薄情なんだろうな。
というよりも、人に深く介入するのが怖いからもともとあまり人に情を抱かないというか。
結構、究極的なところで人は人、自分は自分と思ってるというか思うようにしている気がする。
だから、お爺ちゃん死んでも何にも悲しくなかったし帰りもしなかったし。
何かさ、人の命なんて本当に元気なうちだけだよ。
だから、元気なうちは精一杯明るく楽しく頑張りましょうねと思うけど、
そこから外れちゃったら終わりかなあと思う。
命自体に思い入れを持てないというか、うまく言えないけど、生きているから意味がある。
だから、死んだ後とかどうでもいいし、葬式や坊主の類が合法的な詐欺くらいにしか思えない。
まあ、無知もあるんだろうけどね。
でも、冷静に考えて戒名何万、葬式何十万とか「はあ?」でしょ。
結婚式なら想い出作りで笑えるけど、葬式なんて無理してやって残るものなんて何もない。
せいぜい世間体でしょ。
私はこの世間体とかいうのが本当にどうでもいい。
だって、いざ自分がものすごく困った時、世間様ほど頼りないものはないからな。

実際自分が困った時って世間様に助けられたこともなければ、
むしろ世間様から被る害のほうがよっぽど多かったっていうか。
なんて聞くと被害妄想みたいだけど、そういう話でもなくて、
世間っていわゆる名前を持たない群衆みたいなものでしょ。
かきわけて個人個人で話し合えば分かり合えたり通じあったりできるけれど、
そこまでいかない社会的な立場同士でしか一生知り合えないたちの群れ。
私、今でもよく覚えているんだけど、子供の頃から群れが怖かった。
というより、どうやってもそこから外れてしまうことにいつもいつも怯えてたな。
いつも中心に居られる人たちはどこにいっても同じで、
なんとかそこを囲む何かになれる人たちも同じで外れる人も同じ。
大人になってから別にどうでもいいやと思ったら一気に楽になったけれど、
子供の世界って本当にあらゆる面でひどく残酷だと思うわ。大人の世界のほうがよっぽどマシ。
小さい頃は神様がいて〜♪なんて歌があるが、神さまなんかいなかった。
夢持つことさえできないような地獄の日々。
あらゆる事を乗り越えてきた今振り返っても生まれて18までの時期が人生で最悪の暗黒期。
大人になってからのほうがずっと楽で幸せで、むしろ右肩上がりに今が一番と思える人生だわ。
子供の頃が気も休まらないほど最悪すぎてね。
家に帰れば両親の怒鳴り声と金切り声。その母の悲しみはダイレクトに娘の私へ。
ひどく悲しい言葉と躾と言うにはあまりに行きすぎた暴力。
顔に大痣が出来たこともあった。
その時の担任に恐る恐るという雰囲気で「お母さんにやられたの?」と聞かれた事もあった。
子供の私は精一杯の平常心で「転びました」と嘘をついた。
子供がこんな嘘をつくことがどれだけ悲しいことだろうと私は大人として母を軽蔑する。
でも、母のそれをした気持ちも分かる。
人間、弱さに負けてしまえば、より弱いものにその矛先がいってしまうものだから。
だから、弱さは罪だ。戦わなきゃダメだ。強くなろうとすることこそが正しいこと。
そう強く信じて抗わなきゃ生きていけない。苦しいし悔しい。
それに、学校に行ったら行ったで友達なんて一人もいなかったし。
陰口を聞こえるように言われて笑われて、本当にこの世のどこにも居場所なんてなかったし、
自分を肯定できるものが何もなかった。
それが私の人間性が一番作られる時に見てきた世間様なんです。

私はあんな思いをもう人にさせたくないから、命を新たに作りたいなんて思えない。

命は怖い。死よりも生のほうがよっぽど怖い。
だから、人が死んだと聞いてもあまりなんとも思えないし、思いたくもないんだ。
生とか死って運命だと思うしね。人の手じゃどうにも出来ない運命に生かされてるんだよ。
だから、元気に生きてるうちが過ぎたらみんなさよなら。
人の人生は人の人生だもん。好き勝手生きるのが一番幸せだよ。
そう人に対しても思っちゃうから、一貫して死にも思い入れはないよ。
生きるも死ぬもその人の人生だもん。
どうこうしてほしいという希望も期待もないから、命も自由であってほしい。
いまいちうまく説明できないしきっと聞いてて意味不明だろうけど、そんな感じだ。
誰とも運命共同体にはなれないんだ。
例え一生添い遂げられた夫婦であっても、別々の個体、別々の人生。
隣で並んで同じ景色を眺めてたって見えてる世界はきっと少しずれてて違う事を感じてる。
これをどこかで読んでくれてる人だって全是違う世界で生きてる人で、
だけど今どこの誰かも分からない私の話に耳を傾けてくれていて、
だけどきっと次の瞬間は思い出しもせず自分の人生があって、
死んじゃうその時は確かにあった今さえ何も跡形もなくないのと同じで、
結局すべて幻みたいなものなのかなあと思う。
人間って結局見たいものしか見てないし思いたいようにしか思ってない。
あなたのその大切な記憶ももしかしたらそれはあなたが作り上げたシナリオかもしれなくて、
隣に立った人が見た同じ景色のはずのその記憶は全く別物なのかもしれないし、
それは永遠に証明し合う事はできないんだよね。
ただ、分かり合えないことを分かり合うか、分かり合えてると思い込み合うか、
それらだけを愛というのかもね。

きっと他人から見たら、自分も名もない世間体の一部。
でも、個人で見れば、名前をみんな持っていてその人が抱えた思い人生がある。
それらから名前を奪った世間体なんかに何の意味もないでしょう。
名前のある人たちは名前を知る人たちしか助けない。
だから、一人でも多くの人に私の目を見て名前を呼ばれたかった。
それだけ。
知ろうとしてほしかっただけなんだね。

私が最後に救済の手を伸ばそうとして必死で訴えかけたのに対し、
最後まで世間体を気にして母はその手を払ったけれど、
母が気にした世間体とは一体何だったのかなあ。

私が実家によりつかなくなった理由はいくつもあるが、
下地を素直にして言うなら母への憎しみじゃないんだ。
実際近づいて姿を見て実情を知ってしまえば、心配になるのが分かるから怖いんだ。
あんなことになってまで尚も見境なく何を手放しても保護しようとしてしまうのが怖い。
だったら、ある程度離れて姿も見ず過去の記憶で憎んでいた方が楽なんだ。
悪者はね、最後まで根元まで悪者であってくれた方が救われるの。
よく物語で悪者にも苦労があって涙があったなんてあるけどあれを美談にしてしまったら、
奪われた人たちは泣くに泣けはしないんだよ。
憎まれっ子世に憚るはある意味善人への救済なんだよ。

でも、こんなことはもうやめなきゃ。
とこかで和解し合わなきゃ。
それこそ国と国の国交正常化の仕組みと同じような気持ちで思う。
でも、何度も何度も試みても相手が心を閉ざして話さないままなんだ。
国交正常化は一国が頑張っても無理でしょ?それと一緒。
相手が正面向いて腹を割って話す気がないのだからお手上げ。
お母さん、お願いだか私のお母さんで居続けてよ。
そう思う。あんなことがあってもね。
子供って結局いつまで経っても子供なんだよ。
どんなに金払っても勉強しても偉くなっても買えも変えも選べもしないのは親だけ。
残酷でしょ。
もしあなたがまともな親のもとに生まれたと思えるのなら、
それはこの世で一番大事で重要な最大の幸運を授けられたと思って間違いない。

あんな事があっても今でも思う。親がもう一度真人間としてやり直してくれるのなら、
私はすべての世話を請け負って構わないって。
それは具体的には自己破産をしてほしい。論理に合わない生活はもう断ち切ってほしい。
その上ですべての後処理を私が請け負っていいと思ってる。
でも、その前の断ち切る事というのは、本人たちの覚悟のもとてしかできないから、
私がどんなにアプローチしても相手が私を断ち切ってるから無理なんだ。
まあ、当たり前だけど、親だって親の前に名前を持つ個人なのだから、
その人がそう言っているのだからそれ以上の答えはないんだし、それが正解なんだよ。
本当にバカだよなあ。

人は人、自分は自分。簡単なようで難しい。

人の命に深く介入したくないから、人が死んでもどうでもいい。
だって、自分が死ぬ時だって誰も介入出来ないもん。
別に何かの事故でとか事件でを含めたって命が終わる時はみんな一緒ひとりひとり。
だから、死んだ時はさようなら。
そして、命に深く介入したくないから命を新たに作る事も出来ない。
もっと平たく言えば、ペットだって私には飼えはしないよ。
自己破産シミュレートを勝手に頭でした時に、
自己破産で担保差し押さえで住むところ失くした親に住居を提供すると考えた時、
実家に犬がいるというだけで重機選びのハードルが一段二段上がるのよ。
もし両親二人だけだったら極論、今私が住んでるような安い家賃の部屋見つけるのはすぐ。
でも、ペット可という条件つけたら一気に家賃とさがす難易度が跳ね上がる。
な、貧乏人がペットなんて買うもんじゃないでしょ。
今でも聞きたいよ。
子供が風俗して仕送りしてる状態でどんな気持ちでペットショップでペット買えたのか。
そんな生き方だから借金で借金を返し初老の年になっても貧困に喘ぐ。
もっと言えば、そんな考え方しかできない奴らが自営なんて無理に決まってる。
ましてや命残す子育ての素質さえないわ。
そんな奴らがやれ戒名だ葬式だ世間体だって本当にどうかしてるんじゃねーの!?だよ。
前に祖父が死んだ時に殺伐とした事言ったら、
それに対して人の命を何だと思ってるのか的なコメントきたけど、それも間違ってない。
だけど、軽く見てるからどうこう言ってる訳じゃない。
見るだけなら重すぎるくらい重く見てるよ。
だけど、現実がお涙頂戴で美談に出来るほど優しくない。
泣くより前にすることあるだろと人間としてあまりに弱い親を見て思う。

私は親みたいになりたくない。だから考えて考えて考え倒して、生きていく。
野望でいうなら、学も何もないところからサバイバルで生きていく覚悟を持ってるよ。
だから、どれだけお金が大切か身にしみすぎるほど分かるから、
親みたいなバカすぎる金の使い方なんて絶対できない。

頑張って生きなきゃ。
世間でもない、何でもない、たった一人の自分だけがすべての人生だもん。
誰だってそう。自分がしっかりしなきゃ人生どうにもならないし楽しくない。

今日も頑張れ!って自分に言って生きるよ。

頑張ろう。

何が言いたいか分からなくなっちゃったけど、
眠れぬ夜のベッドの中からの自分への喝!です。

今日も頑張っていこう(^o^)/
きっといいこと沢山起こるよ♪

頑張ろう。


[2016/03/12 06:54] 怒りや悲しみ | トラックバック(-) | CM(0)

自由への道連れ 

こんにちは!
超絶長文で言いたい放題てす。

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春が続々ときてるわぁ(*^^*)
雲ひとつない真っ青な青空と淡いピンクの桜がこんなに美しいなんて。
ところどころにはまだ柔らかい黄緑の葉が出てきて、本当に素敵。
日差しもまだ穏やかでぽかぽかしていて心地よく散歩しているだけでわくわく。
特に何があるというわけではないけれど、何もないことが幸福に思えるのはいいね。

先週は平日に元夫が休日出勤の代休があったから、車を走らせ一緒に桜を見に行ってきた。
平日は観光地もそうこみ合わず快適だからね。
夏の彼の一件含めこの冬は気分が塞ぐ事が重なったことで、
逆に元夫とはわりと連絡を取り合い会ったり話したりとする機会が増えた。
去年はほとんど会うことも連絡すらもなくなり一切関係なく生活していたけれどね。
まあ、本当になんだかんだ言っても10年一緒に過ごせてきた人なんだなあとは思う。
出会ってからをトータルで見たら12年な訳で、人生の三分の一以上だもんなあ。
去年からここに書いてきたようにあらゆる人と過ごしても結局退屈や息苦しさを感じていたし、
何か本当にいろんな意味で懲りちゃったものな・・・。
これは本当に私の至らなさの結果だとも思う事だけど、もうどうでもいいんだよね。疲れた。
前回書いた事と真逆の事を書くようだけど、私自身はもう恋なんかしたいとも思わない。
恋ができる精神状態が羨ましいだけで、今の私にそんな事を出来る精神的な余裕がもうないな。
男とか女とかもういいよ。それ以上に人間らしくありたいし自分らしくいたい。
原理で考えたら所詮自分の周りなんて自分を映す鏡でしかないのだろうが、
受け身でナヨナヨしながら思ってる事は尊大みたいな人間が嫌になっちゃった。
出来る事なら楽しく生きていきたいという概要を頭から叩き潰されるのはもううんざり。
広いものを一つにくくるのは頂けないけれど、私が直近見てきたものに限って言えば、
ヤワな男ほど首輪をかけられるのは嫌う癖に自由に飛び回るものはカゴに押し込めたがる。
正直、私自身が良くも悪くも相手なんか本当にどうでもいい。
何をやってようが何を思ってようが一切合切どうでもいい。
だから、その人らしくいてくれて構わない。
ただ自分の心の受け皿を人に求めないでほしい。
誰もが満たされたがってるのは分かるし、誰かの何かになりたいのも分かる。
でも、何故それがネガティブな言葉として出るのか、受け身で指くわえて待つのか分からない。
馬鹿みたい。本当に凄く馬鹿みたい。
傷つく事、汚れる事、笑われる事をまず第一に避けようとするような生き方はしたくないと思う。
経験上、そういう事を最優先に避けたがる人ほど進んでそれらを人にする。
人って多かれ少なかれ誰かになんらかの影響を与えたがる生き物なんだよな。存在証明として。
だから、人を笑わせられない人は人の悲しむ顔を身たがる傾向にあると思う。
とてもくだらないことなのに。
憤りを感じてしまって愚痴ばかりでごめんなさい。
でも、私もいい年なぶん出会う周りの人達もいい年で私が今そうなように、
相手だって今まで生きてきた人生観でこうあるべきこうあってほしいとか相手に対しあるはずで、
でもそれは私じゃないんだ。あなたの予想の範疇、理想の範疇で生きられないよ。
違うと思ったら、その場で私を手放してほしい。私は追わないから。
自分でも何を言ってるかわからないけれど、本当にそんな気分だ。
押し込めようとするなんて本当に馬鹿。だから、私のさよならは本当にさよなら。
人の気を引こうとかまるで思わない。人の気をひくなんて楽しさの一択。
人って予想していた事以上の楽しさや喜びに本能的に引かれるものだからね。
傷ついたり汚れたり笑われたって、私はそれ以上に楽しめないことの方がずっと嫌だ。
この冬、暗くなってたのも当たり前だよ。退屈に身を押し込めようとしていたんだもん。
後ろ向きな事を話すより前向きな事を話す方がずっと有意義。
傍観者気分で当事者になってる人を俯瞰して馬鹿にするような人にはなりたくない。
既存のものを失うのを恐れる事は自分がそこまでの人間だと認識しているのと同じだね。
まだ見た事のない世界に胸を躍らせるような生き方が出来るように頑張りたい。

それを思ったら、私がしたかった恋って何なのだろうと思った。
もしそれが、これから出会って食事してセックスしての繰り返しならまるでごめんだ。
何か気持ちの先に行動があるのではなく、行動の先に気持ちを持ってこようとするのは難しい。
そもそも私は恋がしたかったのだろうか。
私ね、たった一度でいいから何もかも忘れられるような恋がしたかったけれど、
今はもうそんな事はちっとも思っていない事を気づく。
ならば、今したがっていたのは、結局その恋を忘れたいがための恋だったんだよな。
とてもくだらないと今更気付く。もうそういうのはどうでもいい。
人生はなるようにしかならないし、気持ちの赴くままにしか進まないんだよね。
矯正して抑制したところでそんなものは板につくわけがないんだよ。
ならば、のびのび自分らしく生きていたらその先で何かが見つかるだろう。
例えそれが恋でなくても、何かしらがあるだろう。
何もなくてもそうやって生きていく事が素晴らしいと思う。

元夫と過ごしたら、それはそれですっごく楽でとっても楽しかった。
そりゃそうだよね、10年日々毎日一緒に居たんだし入られたんだからさ。
ぶっちゃけつまらんと暗いと抑圧的は絶対一緒にいたくないし。
元夫は明るいしさっぱりしていてネガティブじゃないし過干渉じゃないからね。
前も言ったけど、めちゃ面白い。最近思うのは、元夫ってブラマヨ小杉みたいな人。
あそこまで太ってないというか全然普通体型で少し分厚いくらいだけど、
肌の白さとか存在の質感含め性格の明るさや面白さとかポジティブさとか彷彿とさせる。
とにかく明るい元夫は友達も多くて私が出て行ってからよく遊ぶようになったみたいだしね。
前は常に時間を一緒に過ごしていたけれど、私達は少し一緒にいすぎたのかもしれない。
何より本当に私に対して尽くしてくれたし今でも尽くしてくれるし、人にもフランク。
別にここに来て元夫上げする訳じゃないけど、一緒にいられた人である事は事実で、
もっと言えば別れた理由は直接的に元夫がどうかじゃなかったし、
私が別の人を好きになった事と元夫との事は別問題なんだ。
それに関して元夫がした事もあるにしても、もういいんだ。結局私の手落ちが原因。

朝早くから車走らせて桜を見て食べ歩きして本当に何気ない一日だったけど、
久しぶりに清々しく身が軽く楽しかったよ。
いつかどんなに素敵な胸が燃え上がるような恋も、
その幸福の先にあるのはこんな穏やかな感情なんだろうか?
だとすれは、私は何故今からまた一からそれを探そうとしているのだろう。
正直に言うなら、あの時に元に戻れなかったのは元夫への意地でも自分への罰でもなかった。
凄くくだらないけど言う。せめて好きな人の心の中に少しでも長くいたかっただけだ。
いつか消えてしまうなら一日でも一時間でも彼の頭のどこかに引っかかっていたかった。
戻ったらきっとすぐ消えてしまう記憶になってしまうことは分かっていたから。
馬鹿でしょう。でも、それくらい好きだった。
だから、別にそれからの私にふりかかった事なんて自分の欲望のコストだからしゃーない。
だが、この冬は本当にきつかったね。ま根本の原因は分かってる。
失恋というのは二度する。恋を失った時。そして、本当に恋を失った時。そういうものでしょ。
まあ、もう本当に遠くからさようなら。

この冬は本当に骨の折れる思いばかり。
今考えると、自分でも何かにすがりつきたかったんだなあ。
バツイチ小梨の彼なんて正気の私なら絶対好きにはなりはしないのに、
相当心が弱りすぎててかなり血迷っていたような気分。
何であんな事してたのだろう。今更ながら悔しいぜ。
バツイチ小梨の彼はまあ一般的にはモテなくはない部類だと思うよ。何より彼はブランド物だし。
でも、本人それがよっぽどアイデンティティーなんだろうなとも思う。実際よく口にしてたしね。
で、事実だからいいんだけど、別にそれと本人の魅力なんてまるで関係ないって事。
彼に対して色々思う事はあるが、一番嫌だったのは元の奥さんや自分の事好きだった子の悪口。
別に正義感で嫌だと言ってる訳じゃなくて、単純につまらない。
「別に結婚したくなかった」だとか聞いていて気持ちいい話題じゃないでしょう。
そもそも主体性のない男なんて一番魅力のない部類だし、
あなたがどれだけモテてたかと私があなたを好きかはまるで関係がない。
だからこそ、上から目線で選んでやるていで口説かれても意味なんてないんだよね。
笑っちゃう。散々ネガティブな事を言っておいていざ私が本当にさよならしたら慌てふためいて、
未だにつらつらメールが来るのってどうかと思う。
何かさ、言葉にそれ以上の意味を込める人間が多すぎて辟易する。
私はそれ以上でもそれ以下でもない事しか言わないから、やたら人の言葉を勘ぐる人も疲れる。
好きだったら好きというし、好意はストレートに出さなきゃ損。

なんて愚痴ばかりなんだけどさ、恐ろしいのは夏の彼からもここにきて細々メールが来る事。
前回ブログに書いたように前向きな内容のメールが来て暫く静かだったが、
ここ何日か本当に細々と「また仲良くしてほしい」みたいなメールが来る。
より恐ろしいのは、それが真夜中で文面が現在進行形でくる事だ。
「ゆうこの作ったご飯が一番好きだよ」とか、既に終わった事を進行形でいう怖さ。
ちなみに彼のアドレスは私が拒否してから変更したアドレスのままだ。
拒否すれば彼はアドレスを変えてくるからね。
私のアドレス自体を変更してもいいが、多分それは彼を触発させるだけだからただスルー。
相手からすればアドレス変更は私の拒絶と存在を意識させるし、ただ死んだようにスルー。
そもそも前回書いてた新しい彼女はどうなったんだと思うが、
恐らく気をひくための嘘かいいとこ即席的に彼女を作ったが興味が続かなかったかか。
だってさ、彼のドアホエピソードはまだまだあるが、
私がもう二度と会いたくないと言ったら、
「そんな事言って、そっちが会いたくなって我慢できなくなるんじゃないの」と、
めちゃくちゃ卑しい含み笑いで言われて本当に馬鹿なんだなとつくづく思ったもんね。
虫酸が全力疾走する思いだったわ。
まあ、彼自身も全て喧嘩の一環くらいのたかをくくってはいたんだろうな。
捨てられる訳はないって。だから、喧嘩で言いたい放題感情任せに。
でも、感情任せに言葉吐くなんて馬鹿すぎ。
どっちにしてももう大嫌いだけど、仮にそれほどまでに手放したくない相手なら、
その時の感情だけで口を暴走させる事の非生産性に気づくべきだよね。
言った瞬間こそ自分の気がすむかもしれないが後々苦しくなるのは自分だろう。
言葉って思つてる以上に重いよ。想いより重い。

まあ、もう今更何もかもがどうでもいいんだ。
ここにきてとめどなく愚痴が出てくるのはやっとこの冬のモヤモヤを消化出来たからかも。
まるで心のデトックスのように外に排出させる事で気持ちの決着ついたうな気分。
別にこれからは答えありきで何かをするのではなく、
好きなように自分らしくのびのび好きな事して生きて、
その先に何かあったらラッキーくらいに思って生きていきたい。

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ちなみに、ちょっと話が脱線して株の話させてください。
株に興味がない方には申し訳ないけれど、私の趣味中の趣味なんで。

この所、日経平均及び世界の市場含め相場自体の地合いはとっても堅調です。
そして、私も想定が大的中で今までで二番目の大儲けを経験したとこ。
というのも、前に言ってたマザーズのバイオ銘柄そーせいグループ。
前に乗せたチャートはこれ。

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それで現在はこれ。

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横の数字見ても大躍進しているのが分かるでしょ。かつてのチャートが小さくなる程。
もともと市場コンセンサス的に見てとてもお安かったこの銘柄。
現在のこの株価でさえ株の割高割安を測るPER、PBRともにそう馬鹿高い数字ではない。
無論、低くもないが、新興市場でバイオ銘柄ならこれくらいの数字はむしろ低めの部類。
それも、これは最近の好決算を加味した数字で以前はさらに低かったことになる。
といっても、既にもうこの株価だから、新規参入するような株価ではないよね。
持ってる人バイオ放置でいいにしても、新規参入で買うには甘みが少ない。
というのも、もしここから2万から25000を目指す形になったとて、
コストは今の段階で18000円、即ち180万円が必要になる訳で、
180万のコストで上に20万儲かった所で対して美味しくないと思うんです。
同じ180万使って稼ぐならもっと低リスクかつ上に大きく取れる銘柄があるはず。

ここからは私の一方的な頭の整理のポジショントークなのだが、
最近睨んでる銘柄は、マザーズの情報通信系銘柄のPCIホールディングス。

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チャートの一年間の推移はこれ。つまりは現状ならば安値圏にある。
現時点での株価は4700円前後、つまりは一口47万。決して低位株ではない。
それを踏まえて言うと、現在のPER22倍、PBR3倍。決して高くない。が、低くはない。
基本の話をすればPERの基準値は10でPBRは1だ。
だけど、その数字であればいいと言うことではない。何故ならそれらは期待値の裏返し。
期待が全くされていない銘柄ほどそれらは低い。だから、一概に低ければ良株とも言えない。
で、だからこそそれを踏まえて言うと現状約50万という低位ではない銘柄ながら、
決して高くはない指標というのがミソだ。上に動いた時のボラが大きい。
仮にここから下がっても美味しいしよほどの事がない限り知れてる範囲ではある。
財務状況もそう悪くなく事業自体も車載モジュールだったり将来性もあるし、
IPOバブルで高騰してからだだ下がりして一相場まだ築いてない銘柄だから、
何かあるのではないかという予感を感じる事のできる銘柄。
上で損している人達バブルもう処分が済んだ後だから上に殆ど雲はなく信用買残も無問題。
何らかの起爆剤で方向が一気に上に行ったら強い要素は揃っている。
総発行枚数も160万枚とそう多くないし時価総額もわりと低め。

というように、いろんな銘柄を見て分析するのが一番楽しい。
上の話は一例で買いを推奨するものでも儲けを約束するものでもないのであしからずですが、
株というのは投資の中で一番優しい部分だと思う。
勿論難しい事は多々あるが、分かる時だけ分かる事をするように割り切ればとても楽。
そうやって見てれば、次第にそれぞれの中にひらめきがやどるようになる。
株に向いてる人って言うのは何か起こった時に自分に原因を見出せる人だよ。
地合が悪いとか空売り機関が悪いとか外部に原因を見出す人が一番向いてない。
今は株いじってる人なんて沢山いるだろうけど、一緒に頑張ろうね。
私はわりと真面目に一億の大台狙ってるよ!
目指せゴーゴー富裕層、千里の道も一歩から、だもんねd(^_^o)

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そういえば、昨日たまたまバイト長時間入ってて休憩してたら、
去年の今頃百貨店の物産展で私がナンパして何度か遊んだ子から久々に電話きた。
本当にたまたま休憩中。
彼と言えば私が連絡先渡してその翌日食事してその翌日レンタカー借りて遊びに行って、
彼は地方ぐるぐる回ってるから移動の空き日に中間地点で落ち合って二泊で遊んだり、
ジェットコースター的に楽しい思い出があるんだよね。
だから、特別ときめかなくなった今も彼は私の中で特別な子。
まあ、声聴いた感じ当たり前だけど本当に変わらず懐かしかったな。
明るくさっぱり可愛いなという感じで、本当に心の保養。
というか、西日本出身の男性は比較的かっこいい男が多いよね。
長くブログ読んでる人は知ってるかもだけど、私が唯一リピートしてるホッさんも大阪。
もう彼は店にいないからある意味私がお金払う側の直引きなんだけど、
私は目の保養とときめきを買いたいから全然いいんだよね。お金で買えるなら買うわ。
だって、私が今まで見てきた中で容姿だけなら一番かっこいい。
それ以上でもそれ以下でもないから、それで満足。
だって、不思議なものでどんなに好みだろうがセックスしようが恋は別でしょ。
混同がどうしても出来ない。そもそも一年に一回あるかないかくらいだからなあ。
「金いらんわ」とか社交辞令で言ってくれるのがご愛嬌よ。

何でこんな話をしたかと言うとさ、
私が直引きしてるミライースの人が毎回毎回結婚結婚すごいうるさい。
何を話しても結婚に結びつけるとか下衆の極み。
きっと結婚迫られてる男ってこんな気分になるんだろうなとよく分かる。
大体、何度も何度も「結婚する気もないし付き合うことすらないよ」と言ってるのに、
「それでもいい」と繰り返してこれだもんな。
しまいには「言い続けてれば可能性上がってくるでしょ」って逆効果だろう。
そもそもこの冬にいっそ大清算しようとしたが、
「それでもいい。一生このままでも構わない」というんだからね。
ゼロに何をかけてもゼロなのに、きっとそこまで低く自分を見積もってないんだろうな。
自分の見積もりは低くしといた方が気づけることが多いぶん貰いが多いのにね。
で、年末に再開した7年来の客とも継続してる。
というか、リピートしてくれてるから相変わらず会ってるだけだけど、
彼は付き合いがさっぱりしているぶんすごい気が楽。
まあ、今の私の日常はそんな感じかなあ。

さっきちらりと書いたけれど、バイトもなかなか楽しいんだ。
少ししか働いてないけど、何かに属する事の大切さを実感しているし学ぶ事も多い。
初めは機械でもできる仕事と感じたけど、本気でやれば奥が深いし、
いろんな人がいるんだなあと気づけるしね。何事も勉強だね。

じゃあ、明日も頑張ろう。
ずっと眠れない事が悩みだったけど、最近はなんとか眠れるようになってきたし、
ずっと不安を感じてた動悸や偏頭痛もだんだんと少なくなってきた気がする。
この春からはウォーキングからジョギングまでいけるように継続して体力作りしつつ、
健康維持に頑張りたい。健康は生きてる上で一番大事だもん。お金より何より大事。
だから、いっぱいいっぱい健康に気をつかおう。
正直、胸が苦しくなったり頭が割れそうな頭痛の時、すごく不安になる。
特に動悸は心臓と呼吸の存在をダイレクトに感じて生きてる事のもろさを知る。
本当の事を言うと、すごい不安。
でも、今は頑張るしかない。
最近ベタだけど、北斗晶のブログ読んで元気もらってる、、。
それとか、子供が躍動感感じるクワバタさんのブログとかね。
セレクトがどこの中年鬼女かみたいなセレクトだけど、
もはやオシャレモデル系ブログとか見ても遠すぎて興味を維持できないし元気も貰えない。
インスタグラムって何ですか状態。やっぱりブログが一番。

行けるところまで頑張っていこう。

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[2016/03/08 04:01] | トラックバック(-) | CM(0)

なんで愛を歌えないんだ ぼくは愛を歌いたいんだ 

こんばんは!

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春がキタワァ*:.。..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:* ミ ☆
今年の冬は私にとって本当に長くて辛いものだったから、
今まで生きてきた中で春の訪れが一番感慨深く喜びをも強く感じます。
季節は巡るんだなとしみじみ。
若さを失ったり老いていくことはこれからきっとすごく寂しいことでもあるけれど、
季節が巡って時が経過していろんなことを忘れながらも生きていくことっていうのは、
きっと全てのことへの慰めでもあるんだろうなあと今は思います。

全然関係ないけれど、自分は“お母さん”には一生ならないんだろうなと思う。
もちろん、現状そんな相手がいない以上、なれないの方が正しいのかもしれないが、
それを差し置いて“ならない”んだと思う。
昔は自分の遺伝子レベルで顔の造形だったりを憎んでいて子供を産むとか考えられなかったし、
二十代半ばの頃は家族という病そのものの因縁に家族の存在自体が不幸のイメージになったし、
何より生まれてくる側として考えたら私が母親の子供としては生まれて来たくないし、
そもそもこの世に再度生まれて来たいのか考えたら間違いなくノーだし、
そう思ってる以上この世に新たに命を産み落とすなんてことできるはずもないし、
自分の人生の意義や楽しさ探しやまして身の保証に子供を作るなんて本当に罪だと思うから。
こんな事をふと考えてしまうのは、否が応でも自分と同年代がお母さんになったからなんだな。
二十代前半の頃は同年代の恋愛が気になったし、中盤の頃は結婚が、三十代だと子供が。
きっと産まない事より産む事の方が困難が沢山あるだろうけどね。
今の私を一としてそこにもう一つ人と責任を抱えるのは無理だし、
今までまともな社会でまともに生きてこれなかった人間が今からそれをこなせるのかとか、
同性の友達すら作れなかった人間が子供抱えて同性の中で人間関係育めるのかとかね。
振り返ると子供の親のコミュニケーションスキルや人間関係って子供に直結するからな。
親が親の中で溶け込めてないと必然的に子供同士の接触も減ると思うし。
まあ、そんな実質的な事はどうでもいいんだけど、
とにもかくにも自分はお母さんにはなれないしならないんだろうなという事。
もしその全否定をたったの一で肯定に変えるものがあるとしたら、
この人の子供を産みたいと思えるような人と出会い恋をできる事。
ただ、今まで上げた中でこれこそが一番無理めな要素であるという事実。
だから、今の結論に至ってるわけで。
何か全然自分の人生とは関係ないのだけれど、
この世の女性の全般の話ではなくてたった一人顔と名前しか知らない女性の人生を、
ふと想像してみて何ていうかうまく言えないけれど嫉妬でもなく羨望ともまた違う、
いやそれもあるのは間違いないけれどそれとはまた全然違う、
“人生って素敵だな”という祝福の方がより近い気持ちになるのはなんでなんだろうな。
人生が終わる日まで素敵な人と手に手を取れたらどんな不安も洗い流してくれるのに。
なんて今更結婚を美化していってる訳ではないけれど、というよりも、
美化していないからこそつまりは結婚というのは権利なんだなといろんな意味で思う。

話を戻して言えば、私が親から与えられたもので一番気に入っているのは下の名前。
平凡でどこにでもいるだけどとても優しい音で子供から大人まで間違える事なく読める名前。
とても素敵な名前だと思う。
今までその名前を沢山の人、目の前にいた男の人から呼ばれてきた。
好きな人が私の名前を大切そうに呼んでくれたら自分がとても素敵なものになった錯覚もした。
でも、いつか、近い未来、私はきっとただの苗字だけの人になるんだろうな。
“お母さん”にもなれないけれど、ずっと“ゆうこさん”でもいられない。
私の母にも名前があって、母の人生もあったんだな。
そう思うと、私は母を恨みきれないんだ。母がした事を憎めない。
母は母親である前に人間で、私も人間だからその弱さが分かるし自分の落ち度も気付くから。
だからこそ、憎しみの矛先をその行為に向ける。
ここで再三書いてるようにポロリと出る考えている様子のない発言を死ぬほど毛嫌いしてるのは、
忘れられない母の一言があるから。
昔話だけど今でも忘れられないのは、
当時電話していた時、母は私から今まで渡された金を「六百万」と答えた。
「今までいくら渡したか分かってるの?」の私の問いに対してだ。
ほんの少しでも覚えていたら六百万なんて絶対言えない金額を渡してきた。
初めの頃は毎月に30万を二年に渡り渡していたし、住宅ローンボーナス払いの時は更に25万、
これで完済だと300万まとめて渡した事もある。トータルで見たらゆうに二千数百万。
そのお金を作り渡した裏にはどれだけの苦労と血を吐くような労力があったか想像もせず、
たった一言「六百万」で簡単に切り捨てられてしまう軽さだったんだね、母にとって。
結局借金なんてまるでなくならずパチンコに消えて事もあろうか母は被害者面で泣いた。
私より先に。泣きたかったのは何千倍も私だったのに泣けなかった。感情を殺した。
きっと母はこんな事はもう覚えてさえいないし思い出す事もないのだろう。
だけど、結果的に私は母を許した。それに対する追求の一切を手放したのだから。
だから、私は忘れられない。当時の自分を認めてあげられるのは自分だけ。
だからこそ、そこで学んだ事に忠実に人生かけて生きてると思ってる。
そして、だから今まで生きてこれたとも言える。
あの頃に学んだ全ての事は今の私の大部分を作り、生きる術となり身を守っている。
あの頃があったからこそ今を生きていけると思えば安いものだった。
私は母のような母にもならずに済んだのだから。
私は母親が人間として大嫌いだ。“憎い”でも“恨み”でもなく、単純に“嫌い”だ。

きっと母のように全てを忘れ都合よく解釈し喚きたい時にヒステリックに喚いて、
ボロリとバカみたいな考えている様子のない発言をして被害者面出来たら楽しいだろうな。
それらの行為を恨んでいるからこそ、私は黙って考えただ笑っていたい。
私は嘘つきなんかより馬鹿正直の方が大っ嫌い。
池沼みたいに思った事を頭を経由せずポロリと零す浅ましさは本当に醜い。
直近のバツイチ小梨の人の発言が許せなかったのもそこから来ていると思う。
もっと許容し上手くやればいくらでもなんとでもなったはずだけど、
馬鹿みたいな発言が死ぬほど私の心を白けさせた。
彼がどんな真意でそれを言ったかはもう問題じゃない。
酔っていい気になっていい男ぶりたかった気持ちも分かるし、
彼の性格からして私の気を引きたかったのもそれなりには本音だろうが、
それを言えてしまう心境が何より私から遠い。
まあ、ぶっちゃけここに書いてきたように彼と私は悪い意味でよーく似てる。
だから、嫌いになったのかもね。
でも、そこには口に出す事と出さない事には果てしなく遠い距離があるように感じる。

厚かましいかもしれないけれど、私は人を励ましたいんだよ。
無論、そんな事を出来るはずもない人間かもしれないけれど、
それでもどうせ言葉に出すなら肯定的に明るく誰かが聴いて元気になる言葉を発したい。
それは、自分の心がいつも辛くて弱いから。
よく分からないけど、きっと全面的にネガティヴだったり冷たい事を言える人って、
きっと実のところはとても強くて自信があるんだろうなと思う。
自信がないから後ろ向きな事なんて言えない、暗い顔なんてできない。
誰も助けてくれない事を知っているし、聞いた誰かが打ちのめされたら怖いと思う。
もしもう目の前の人が辛い渦中にいたならば、
何気なく発す誰かの冷たい一言が最終打になってしまうかもしれない。
逆に馬鹿みたいに前向きで明るい一言が生きる希望の応急処置になるかもしれない。
そう思ったら念のためでも後者がいいに決まってるじゃん。どうせ言葉が使えるのなら。
まあ、頭が花畑みたいにヌルいなあと思う馬鹿みたいな相手にはさっくり一言で切るけどね。
昔仕事してた時にしっつこく店外を誘ってくる客の「迷っているなら行こうよ」に対し、
「行くか行かないか迷ってるんじゃなくて何て断ろうか迷ってるだけだから」だったり、
「どうして振られたのか教えて」と言う相手に、
「そうやって何でも馬鹿みたいに自分の頭で考えずに聞いてくるとこかな」だったり、
そりゃあもうばっさりと明確な悪意を持って切り捨てるけれど、
そいつらの根源にある甘い自己肯定が虫唾が走るほど嫌いなんだもの。
話がだいぶそれちゃったけど、どんな場面であれ自信の気持ちばかりに目が入って、
人の気持ちより先に自分の気持ちを優先させてしまえる事って強いしポジティブだよね。
何か、私はさ、これからの人生で出来る事なら手に手を取り合って助け合える人と過ごしたい。
勿論それは誰でも思う当たり前の事だけれど、
単純にそのバツイチ小梨の人の言葉ってそれが出来る人の言葉とは思えなかった。それだけ。
お互い励ましあって一緒に「頑張ろう!」と言い合える人と出会いたい。
お金とか見た目とかじゃないんだ。
相手の気を引きたいとかセックスがしたいとかそりゃ人間だからあって当然だけど、
それだけじゃ寂しいでしょ。

寂しくて気が狂いそうだから全力でこれ以上ないくらい前向きな事言って笑ってなきゃ怖くなる。
寂しー。・°°・(>_<)・°°・。

あまりに寂しすぎて気まぐれで喧嘩別れした男の子に連絡取り直してみた。
去年の今頃に私が働いてた店に上司に連れられて来て初見で私が連絡先渡した二個下の子。
スラッとした育ちが良いお坊ちゃんタイプでご飯の食べ方がとても綺麗で私に冷たく振舞う子。
色々出かけたりしてブログにも書いて最後に私がブチ切れてそれっきりの子。
その喧嘩の内容もさ、遠出した帰りの車で「また私の家にご飯食べに来てね」と軽く言ったら、
「…分からない…」と言われたのが決定打でさ、まあ、それが本音なら全然構わないの。
でも、彼はいつだってこうなんだよね。引き気味で俯瞰したような立場で物を言う何様系。
その日のデート自体も、うちにご飯食べに来た事自体も、元はと言えば彼が発案なのに、
その後のホスト側は何故か私みたいな奇妙な事をやっていたと今は思う。
その癖、メールだと素直になれるのか人格変わったように明るい暖かい言葉を言ってくる上、
夏に私が彼氏が出来たと告げた時にはしくしく泣くわ、切れた帰りの車でもすすり泣くわ、
女といる以上に女といる気分にさせられた事もしばしばで、
喧嘩から一切連絡取ってなかったんだけどふと誰かと食事したくなって声をかけてみた。

待ち合わせを平日夜に私の自宅近くまで来てもらい久しぶりに顔を見た。
私が誘った手前、店選びも率先するつもりで「何が食べたい?イタリアン?中華?」と聞くと、
「店決めてるの?」と聞くから「決めてないけど、⚪︎⚪︎さんが行きたい所でいいよ」と答えたら、
店を案内され何となくでも考えてくれてたんだなと思ったら少し嬉しかった。
この子は根本的に言葉は本当に冷たいけど、行動自体は随所に優しさが見えるからね。
全てを知ってる訳じゃないんだけど、ものすごく自分の感情を出すのが苦手なんだなと思う。
何度か酒を飲んだ時は私より明るく大胆に普段とは丸っきり別人くらいになるもんね。
私は酒を飲んで普段より明るくなるにしても方向性は変わらないが、彼は普段とは真逆の方向性。
まあ、そんな訳で彼が根が優しい人である事も分かってはいる。
店を選んでたとかいう物凄い低いハードルではあっても、それは彼なりの善意だから。
それで、食事をしながら話したり黙ったり。沈黙のある会話はとても落ち着く。
それでさらっと上品なエスコートで彼が会計を済ませ店を後にして家まで送ってもらった。
その後にメールで「久しぶりに会えて本当に嬉しかったです。
ゆうこさんの笑顔が見られてとても癒されました。
まだ話し足りないので次に会えるのを楽しみにしています。今日は本当にありがとう!」と来た。

そして先週、一足早く咲く桜を一緒に見に行ってきた。
といっても、出発が遅く着いた頃には真っ暗で全然見られなかったけど何となく見られて、
その時の桜が冒頭の写真。まだ花びらも全然道に落ちてなく爛漫だった。
そこに向かうまでの道中、私が年末年始にあった事やこれからの展望を彼に聞いてもらった。
私は比較的彼にはいろんな事を話せるからわりと本当に思ってる事を話してる。
彼は彼でそれを聞いているだけだけど、彼自身に強いものがないから話せるのかも。
彼は聞くなり「何て言ってあげればいいか分からないけれど…」と言いながらも、
彼が私がカラオケでよく歌うから好きだと思ってるらしいAKBをiTunesでかけてくれたり、
まあ彼らしい無言の優しさだなと心の中でふふふとなった。
桜を見ながらほぼ暗闇の中を一緒に歩いた。
彼が嫌がるかなという面白半分で「手冷えてる?」と手に触れる経緯を作ってみると、
予想に反してそのまま自然と手をつなぎながら歩いた。嫌がる顔を半ば期待してたのに。
ただ私自身が仕掛けておいてあれだが、手をつないで歩くのが私は恥ずかしくて大の苦手。
例えめちゃくちゃ好みの男だろうが好きな人だろうが恥ずかしくて出来ない。
大昔、大好きな人とクリスマスにイルミネーションを見に行った事があって、
周りは手をつないだり抱き合うように歩くカップルばかりの中だったから、
「ああいうの絶対苦手でしょ」と笑って面白そうに言われた事がある。
でも、その後せっかくクリスマスだからと手をつないで少し歩いたのを覚えている。
話が逸れつつも私は人前でそういう行為が凄く気恥ずかしくて出来ないから、
たんだん繋いでていてもたってもいられず挙動不審になり早歩きになり手汗が出て、
いてもたってもいられず理由をつけて手を離す用事を作り一旦手を離したものの、
用事が済むと彼が当たり前のように手を差し出してきてたじたじだった。
もうそこからは逆に不審なんじゃないかというほど無言で早歩きになってた。
正直、相手が誰であれ自分みたいな地味なババアが手をつないで歩いてるという事が、
ものすごく自意識過剰であっても居た堪れない光景で恥ずかしいと思う。
というか、人前でいちゃつくカップルとかも見ていて辛いもんがあるしね。絵面的に。

まあ、そんな事を言いつつ遠出のデートはまあまあ上手く過ごしたんだけど、
それでも正直自分で関係を蒸し返しといてなんだけど彼といても気持ちがしんどくなった。
別に人の性格的なものをとやかく言うつもりはないけれど、
彼って口ぶりは私なんかより凄くネガティヴで冷たいけれど、
さっきも言ったようにある意味私なんかより凄く強くポジティブなんだろうなと思った。
彼の言うワードってそこかしこが後ろ向きで皮肉で受け身なんだもの。
新たに何かを起こそうとか欲張ろうとかより良くしようとかいうのが私の趣旨だとしたら、
そこそこでいいとか別にこれでいいとか何に対してもその状況を飲み込むのが彼の趣旨。
でも、よくよく聞けば彼の言葉はうとてもお客様気質だし傲慢で尊大だとも思う。
何に対しても小言みたいな文句をちょいちょい挟むのも聞いている側が疲れるというか。
例えば道が渋滞している時とか「はあ!」とか濁点も入りそうなため息をこれ見よがしにしたり、
私はそういう意味ない不快の表し方って本当に苦手なんだよね。
それらが出来るって自分が待遇を受けて然るべきの立場だと思ってるから出来る事だと思う。
自分のせいで相手が不快になったらという事を考えないから出来る事。
それならそれでいいけど、彼は手を伸ばす前から全てに対し否定をして、
否定した上で本当に手の届かないところへ行ってしまうと勝手に泣くタイプ。
勝負に出る前から不戦敗で気持ちを落ち着かせてるんだと思う。
彼の気質に文句つける筋合いないからとりあえずはその日をやり過ごしたけど、もういいかな。
例えそれで不快になったとしても今回関係を蒸し返したのは当の私な訳で、それも勉強代で。

何て、今回いつもながらに自分自身が愚痴と悪口の後ろ向きオンパレードになっちゃったけど、
また前を向いて明るく一生懸命に頑張っていこう。
私が外で気持ち切り替えていけるのもこのブログで吐き出す事で均衡を取れているのだと思う。
そう考えると、みんなブログ書けばいいのになんて思ったりしてw

そういえばつい先日、夏の彼からメールが来た。
まず新しい彼女が出来た趣旨、色々思い出して考えさせてもらった趣旨、
ゆうこも風邪に気をつけてバイト頑張ってという季節のお便りの趣旨。
そもそも未だこんなメールが来る事自体、私には意に反している気がするのだけれど、
まず彼女が出来たと聞いてあの別れ際の剣幕を思い出してスッと肝が冷えたね。
またあんな思いをするかもしれない女がどこかにいると思ったら恐怖で。
でも、今のところ私に対してのメールを見る限り彼が平常でいるみたいで良かった。
表面的には彼は魅力的な人間だと思うし彼女くらいすぐ出来て不思議じゃないからね。

私の日常も平常を取り戻し、バイトと株をこなしながら日々ささやかに楽しんでる。
始めたい事や目標も作り出して、楽しみを見つけながら人生を模索しつつ進んでいる。
真冬の自分に比べたら進歩だし、あれがあったからまた考え方も改良できたし、
また新たな季節を頑張っていこう。

最後に去年買ったけど着る事なかったヴィヴィアンウエストウッドのスカートを、
年下の彼との花見で今更下ろした。今年の冬はほぼ引きこもりだったから。
厚手のウール素材でもう今からは着られないけれど、来年また着られるかな。
色も落ち着いてるし若いデザインでもないから着られそうだけど。
前にベッドに置いたものを撮って載せたけど覚えているかな?
着るとこんなに立体的で美しいラインが広がって素晴らしい。一枚布とは思えない出来。
トップスはセールで買ったローラアシュレイのレースカットソー。
見辛いけれど、レースが袖の先にも施されているのと、
カットソーの裾がレースのままになってて波打ってるデザインが凝っててお気に入り。
ただ、ローラアシュレイの服って値段の割に生地がとても安っぽいから残念。

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画面が暗くてよく見えなかったから彩度上げて加工済みだけど、
衣類の色合いはだいたいこのまま。

それじゃあ、またね。
今月も明るく楽しく健やかに一生懸命頑張っていきましょうね。
幸運が沢山舞い込んでくる事を願い、前に進んでいきましょう。
また会う日まで、御機嫌よう(^ー゜)


[2016/03/01 06:41] 普通の事 | トラックバック(-) | CM(0)
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